五輪男子サッカー敗退に関する覚書

● 前線のバランス

最終予選のUAE戦での成功を受け、直前のテストマッチシリーズでは、平山をトップに置き大久保と田中達也を併用した「1トップ2シャドー」の形が基本とされたが、思ったように機能しなかった。原因としては、前線とバックラインの意識のギャップが挙げられる。3トップ気味に構える前線の3人が前掛りになったこととは対称的に、今までトゥーリオのオーバーラップに引っ張られる形で押し上げを行っていたバックラインが、対戦相手のレヴェルの向上により、今まで行っていたような(無意識の)ラインコントロールが出来ず、中盤に大きなスペースを生んでしまった。また、それにより、今野、阿部のダブルボランチが中盤の広大なスペースをカバーすることに奔走し、このチームの心臓である2人の良さを消してしまった。大久保、田中を併用した「1トップ2シャドー」は、チーム全体が前掛かりになったときに始めて生きる「特攻戦術」と言わざるを得なかった。

しかし、混迷を極めた前線のバランスも、直前のベネズエラ戦で機能した平山、大久保の2トップに松井が絡む「2トップ1シャドー」という形で一応の決着を見る。元々キープ力が高い松井にフリーポジションを与え自由にボールに絡めるようにしたため、彼のドリブルなどのキープにより最終ラインの押し上げがスムーズになった。それにより、ダブルボランチの負担が減り、前線へのボールアタックや楔のボールからの飛び出しなど彼ら本来のプレーが見られるようになった。ボールの引き出しから前線の飛び出しまでに絡む、松井独特のプレーエリアの広さが日本のエンジンを再始動させることに繋がったのだ。結局、五輪本番でも、この「2トップ1シャドー」を基本形として戦っていくことに成る――。

● オーバーエイジの選択

日本のオーバーエイジは、ご存知の通りGK曽ヶ端とMF小野の2名である。曽ヶ端については合流直後のチュニジア戦でのミスが痛かった。他の候補者に比べ圧倒的な実績を持つ彼のレギュラーの座は固かった。にもかかわらず、パフォーマンスでそれを示すことが出来ず、アンバランスな精神状態で起用されつづけたことにより安定感のないプレーに終始してしまった。むろんオーバーエイジとしてチームの精神的な支えになるなどはさらなりである。 もう1人の小野の方は合流時期が問題だった。チームの都合で、テストマッチには合流できず結局ぶっつけ本番の起用になってしまったのである。パラグアイ戦では、そのまま松井の位置で起用されたが、上手くボールに絡むことが出来ず、山本監督自身試合後の会見で起用方法のミスを認めている。FWでのプレーも可能な松井と所属チームで長らくボランチのポジションで起用されている小野のプレーエリアの違いは大きく、小野が上手くボールに絡めないことによって前線でタメが出来ず、チームの歯車が狂ってしまったのである。

また、小野を出来ればボールを多く触れるボランチの位置で起用したかった初戦の後半からは、誰を押し出すかに頭を悩ませることに成る。単純に行けば、同ポジションで似たような役割が期待されている阿部だろうが、彼のリスタートは日本チームの最大の武器である。どうしても阿部を外せない山本監督は彼を3バックの右CBや4バックの右SBなどに移したが、いずれも全く起用したことのないポジション。別に小野が来る前でもこれらのポジションに阿部を起用すること自体は可能であり、またそれだけ彼のリスタートに期待していたのであれば、リスタートの全権を委ねても良かった。実戦での想定が甘かったという責は免れないだろう。

● その場しのぎという言葉があるが、サッカーで重要なのは「その場」である

今大会日本は、ベンチに平山や田中達也、石川といったジョーカーとなる選手を多数抱えていた。(初戦については松井も)しかし、3つしかない交代枠で切れるカードはせいぜい1つか2つ。そう考えると、彼らのようなスペシャリストをスタメンから使えるバランスを模索する必要があったはずだ。例えば、サイドの攻防で完全に後手に回ってしまったように日本の両サイドはスケールが小さかった。もはやJリーグでも屈指のサイドアタッカーである石川を先発から使えるバランスを考えても良かったのではないだろうか?また、平山についても同様だ。点で合わせる「中山タイプ」のストライカーである高松と違い、平山は高さや流れの中でのキープ力も期待できる選手であり、先発タイプはむしろ彼だったのではないだろうか?

結局、山本監督は「その場」での勝負への意識が希薄だったようだ。小野をボランチで起用したとき阿部をどうするのか?またはその時キッカーはどうするのか?選手交代のカードはどう切るのか?勝っている場合のゲームプランは、または負けている場合はどうするのか?結局全ては不透明で、それを「日本サッカー全体の課題だ」といわれてもとても納得出来るものではない。(山本監督を選んだのも日本サッカー協会であり、それが日本の現状といわれれば確かにその通りだが)このコメントを見る限り、彼はこの敗戦の自分の行動は間違っていないと思っているだろうし、おそらくこれからも反省することはないだろう。

確かに、選手は発展途上で、五輪は通過点でしかないかもしれないが、勝負は勝負。勝たなければ、選手の自信にも経験にもならないのである。最終予選前に開幕直前の選手たちを異例の長さで拘束するなど、山本監督には他の国にはない準備期間や協会のバックアップが与えられていた。それら全てを「チームの成熟」や「オプションの模索」にではなく、「選手のセレクト」に当ててしまった責任は決して小さくないと思う。

(GAITI)