- ■「チームの構築と非対称性の考察(前編)(2002/12/03)」
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サッカーの戦術とは見るほうにとってはなかなか面白い存在だ。
選手個人の能力を引き出す戦術とその完成度によってチーム力が大きく変わるからだ。
これは優秀な選手を抱え込む強豪チームを時に弱小チームが倒す、あるいは中堅チームがあるシーズンには優勝を狙えることもあるという幸福な構図を生み出す。
この見方は「1チームを定点観測したときの戦術」であるのだが、
ここではもう1つの「歴史的経緯を踏まえた新たな戦術の発見」について述べることにする。
サッカーの戦術は20世紀後半から現在に至るまで急速にかつ絶え間なく発展してきている。
だが新世紀を迎えてその現状を見る限りは発見すべき戦術の大半は出尽くした感があるのも事実で、
そう思うと我々が新たな発見をする楽しみはどれほど残されているのだろうか?とも思う。
では何故に新たな戦術が生み出されにくくなっているのか?
今度はそれについて考えてみようと思う。
- ■難しくなった現代のチーム力の維持
戦術とは詰まるところサッカーという大きな不確定要素をコンセプトと言うベクトル方向の力によって効率良く確定的な要素にする行為である。
過去、1つの例外もなく大きな成功を収めたどのチームも組織作りの際に明確なコンセプトを持ち、それをいかにして実現していくかという工夫が見られた。
コンセプトはチームに方向性をもたらし、それを実現させたチームはそのどれもが強いチームと成り得ていた。
だが現代では同じようにコンセプトを掲げ、仮にそれを実現させたとしても、その強さを維持していくことが非常に難しくなってきている。
その最大の理由はテレビを中心としたメディアの発達にある。
今ほどマスメディアの発達していない少し昔のチーム作りというのは、国内リーグを勝ちぬく事を前提としそれに合わせたスケール感を持った狭義のコンセプトが求められていた。
適応範囲が国内リーグと限定されていることでその戦術は有効に機能し、その結果コンセプトの選択さえ間違わなければ完成度が高くなりやすく
結果として国外を相手にした場合もそのスタイルを貫くことで勝ち上がることも可能であった。
このことはサッカーとはピッチ上で起きるすべての事柄について対応することが難しいということを示している。
そのためチームを作る際には選手の適正を考慮してある部分を高いレベルでカバーし、別のある部分を切り捨てていき、
そのため監督はおのおのの嗜好と合わせて適応範囲を限定したコンセプトを持ち出すのだ。
初期コンセプトの大きさがその適応範囲の広さを表し、小さければ適応範囲は狭いがチームの構成は比較的楽な「狭義のサッカー」となる。
逆にスケールが大きいと機能すれば絶対的な力を発揮するが、戦術は難解になり、選手への要求はエスカレートし、安定性に欠け、一般的にはチーム作りには応用しがたい。
だが近年、そのチーム作りが加速度的に難しくなっている。
前述の「狭義のサッカー」では、相手がこちらをよく研究した場合においてその戦術的弱点を露呈しやすいのである。
相手を研究するのに必要な情報は現代ではテレビメディアなどから手に入れることは用意となってしまい、
チームのコンセプトを理解して論理的な対応をせずとも、それらの映像に映る人影をなぞるだけでもある程度までの対応は可能となってしまったのである。
これは悲しむべき出来事であると同時に監督には非常に辛い事態であると言わざるを得ない。
ある監督の独創による産物がシーズン半ばで機能しなくなり、最終節までにはチーム構成の再編を迫られてしまう。
結局は時間が足りずにチームは調子を崩し、日和見のサッカーのままでシーズンを終えるというのが今日のビッククラブの周辺で起こっていることである。
では現代でチームを組織するには博打を覚悟で大きなコンセプトを持つが構成の難解なチームを作るか、
もしくは狭義のサッカーでいつか相手に攻略されるのをじっと待つかしか選択肢は残されていないのだろうか?
これらの選択肢のうち前者に付いては、実際に実行するにはかなり難易度が高く現実的でない。
チームの初期コンセプト(もしくはスケール)が大きくなればなるほど、サッカーの持つ不確定要素を組織力で押さえ込むこむことになり、
対人としての労力ではなく不確定性そのものを抑えこむための労力が尋常でなくなるため、
大きなコンセプトを掲げたチームと言うのは監督や選手がいくら優秀であっても往々にして自己崩壊を起こしていく。
そのためほとんどのチームといのはより現実的な後者、つまり「狭義のサッカー」を試行して行くわけだが、相変わらずついてまわるのが研究された相手に弱い点だ。
では何故、狭義のサッカーは弱点を解消することができないのか?
その原因はおそらく「戦術の定常性」にある。
- ■狭義のサッカーにおける定常性の問題
2002年ワールドカップのグループリーグでフランスとアルゼンチンが敗退したのには様々な原因があるが、
詰まるところ前述の法則に当てはまり、研究した来た相手を崩す研究が足りなかったということに他ならない。
この2チームともが長期間にわたって高いレベルでそのチーム力を維持してきた。
もちろんワールドカップ本大会でも好成績が期待できたのだが、蓋を開けてみれば両チームとも予選敗退という結果に終わっている。
これらのチームの敗因はフランスはジダン不在時のチーム力低下と慢性的な得点力不足、アルゼンチンはビエルサが3トップシステムにこだわりすぎたという点にある。
これは戦術の定常性による弊害そのものである。
では良く組織されているはずのチームが相手に柔軟に対応できず、その定常性を解消できないかというと、
よく一般法則として上手く行っている間はチームをいじるのを避けるというものがあるが、
これはつまりユニット単位のプレーを基本とするサッカーでは選手が少し変わっただけでそのユニットの連携に悪影響を及ぼしてしまうことをよく表している。
どんなに監督が優秀であろうとも結局細部に関しては選手同士の共通認識で作り上げるより方法がなく、
狭義の戦術がチームの総合力を倍加させるかわりに、システムを変えると途端にその魔法が消えてしまうという危険をはらんでいるのだ。
だからそれが例えビエルサのような優秀な監督でさえも、一度機能し出すともはや触りたくても触れない領域に入り込んでしまうのだ。
狭義のサッカーが定常性を持ち、相手に対応される可能性をはらんでいるのは理解できる。
だがより問題なのが、それが定常的であるが故に戦術が自分たちの側で完結してしまい、相手との関係を踏まえた駆け引きが発生しにくい点にある。
これが今後のサッカーの発展性の鍵を握る部分である。
新たに革新的な新システムが生み出されるとするならば、「狭義のサッカー」で欠点としての「定常性」を克服するために
初期コンセプトに相手との関係を前提とした「戦術的な駆け引き」を内包するようなものであるはずである。
次章は戦術的な駆け引きを検証するために、新たな可能性としての左右非対称のサッカーについて考えてみようと思う。
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- ■関連リンク
■「チームの構築と非対称性の考察(後編)」