■日本とプレッシングの幸福な誤解
■サッカー文化のお約束として
サッカーは世界中のどの国でも行われている数少ないスポーツの1つである。
そしてその発祥はイングランドにあるのだが、しかし同じヨーロッパであっても全く使われる用語が違う。 そんな中、現在日本で最も厄介な用語と化しているのが”プレッシング”という言葉だ。 おそらくプレッシングの一般的なイメージは「中盤で相手を囲い込んでボールを奪うこと」であろうが、
だがこれは間違っている。

いや、正確ではないのだ。

■プレッシングの歴史
そもそも”プレス”の起源はオランダのトータルフットボールで一般的に知られている。
┏動:press-他、名 押す、押しつける、圧縮
┃名:pressing-名 圧縮すること
┗名:pressure-名 押すこと
トータルフットボールは現代サッカーにつながる革新的な要素をいくつも持っていたが、その中の1つがこの”プレッシング”である。

オランダの公用語には英語が使われているので、言葉自体の意味としてはおそらくこのままでいいのだろう。 ではそもそもプレッシングがどういったプレーを指すのかというと、 「相手にボールが渡った瞬間からたとえ相手の陣内からであろうとも、敵選手(特にボールホルダー)を押しこむようにしてボールを奪う行為」であった。 つまりこのときのプレッシングは文字通りの”プレッシング”の意味でラインを高くしてなるべく全てのプレーを自陣から遠い位置で行い、 そのために相手陣内でボールを奪うような縦方向へ圧縮されたエリアで戦うことを目的とした戦術の用語であったのだ。

その後、プレッシングが注目されたのがトータルフットボールに影響を受けたサッキ率いるミランであった。
このときのプレッシングはトータルフットボールのそれを更に洗練させ、「4−4−2を使ってDFラインだけでなく中盤もゾーン的に分割し、前線から中盤にかけて激しくプレスをかけボールを奪う」という戦術であった。 DFのマーキングの方法論としてマンマークに対するゾーンマークがあるが、中盤から前線にかけての新たなゾーンディフェンスの概念はこれでスタンダードになっていく。 ここまでをまとめると、ラインを上げてプレーエリアをコンパクトにし、前線から中盤にかけて相手にプレッシャーを与えてボールを奪う行為、これがプレス・プレッシングの概念と言える。

だがこのミランのサッカーが後の日本において多少の誤解を生ませる結果になるのである。

■全ては”ゾーンプレス”から
日本で最も有名な守備戦術の用語はおそらくフラットスリー(F3)であろうが、そのほんの少し前までは”ゾーンプレス”という言葉であった。

この”ゾーンプレス”、もとを正せば元横浜フリューゲルスの加茂監督によって作られた和製英語である。 上記のように”中盤をゾーンに分けること”と”プレスをかけていくこと”は本来は別々のロジックであるのだが、 ゾーンマーク、ゾーンディフェンスに使われるあるエリアのことを表す”ゾーン”という言葉と、プレスが結びついてしまい、何だか良くわからない言葉になってしまったのだ。 とは言え、この言葉通りに当時の横浜フリューゲルスのサッカーは中盤で激しくプレスを仕掛け続け、ゾーンプレスの一大ブームを巻き起こした。
(ただ中盤のプレスはきつかったがラインは高くなかった。ここは日本の気候・日程などを考慮した加茂監督たちの努力が見える。)

このときのエピソードは実はなかなか面白いものが多い。
昨シーズンまで市原を率いていたベルデニックは中盤からボールを奪うカウンターで素晴らしいサッカーを見せたが、実は彼は横浜フリエ時代に加茂の下でコーチを務めていた。

また2002年12月発売の”サッカー批評”には当時、セリエAでミランと2度だけ対戦したことのあるFKのスペシャリスト・エデューのインタビューが載っているのだが、 そこで彼は当時のゾーンプレスが生まれた経緯をこう語っている。「チームに入って最初のオーストラリアキャンプのときに加茂監督にミランのゾーンプレスについていろいろ聞かれた。」 ここから当時の加茂監督にはミランのプレスについての情報がほとんど無かったのだと分かる。 それもあってエドューはイタリアの知り合いのサッカー選手に電話して意見を聞いたり、彼の持っていたミランのビデオを見て研究したりと試行錯誤があったようだ。

■日本とプレッシングの幸福な出会い
このように日本に若干不本意ではありながらもプレッシングの概念が根付いたのは、この”ゾーンプレス”という造語のおかげである。 そもそもサッカーを語る上でこういったキーになる言葉は必要ではあるのだが、ことさら日本人にはそういったものが欠かせないようである。 確かにトルシエ時代もフラットスリー、ウェーブ、オートマティズムといったカタカナの用語に日本人は弱かった印象がある。

古株のサッカーファンからは批判も多い”ゾーンプレス”の造語であるが、 しかしサッカーに興味のない人にとってこういったイコンとなる言葉はそれを語るときに非常に便利であるし、なによりラッキーだったのがゾーンプレスという言葉は・・・カッコイイ! 多少英語として意味が通じないと言われようが、そういう間違いが生まれ出るのがサッカーの面白いところで、ブラジルの”ボランチ”など世界的に見ればそういったことは当たり前の出来事ですらある。 その国でしか通じないサッカー用語があるというのは、その国にサッカー文化が根付いていくのに重要な指針になるのではないかとすら思う。

だがゾーンプレスの魔法の影響はおそらくそういった表層的な部分だけではないのかもしれない。
ゾーンプレスの造語と横浜フリューゲルスのおかげで、日本のサッカーファンに組織的なゾーンディフェンスとプレッシングの概念が目の前の凡例と合わせて 認知されたことはサッカー界にとって、(おそらくは)とてつもなく幸福であったのだろう。 というのも、Jリーグが読売クラブを象徴とした個人技に隔たったチームで席巻されていた時点では、Jが組織的守備戦術を重視しないただの3流リーグに成り下がる可能性もあったわけで、 これらのことが今のような組織的で理知的なサッカーリーグへと向か向かっていった原因の一つであることは確かだろうと思うのだ。

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