■オリンピック代表の戦術の”深度”
アテネオリンピックに参加しているU23代表チームは非常に時間をかけられて構築されたチームだ。
本大会出場のためのアジア予選はもちろん、Jリーグの開幕直前からの長期合宿や親善試合など過去前例がないほど多くの時間が代表をチームとして形作るために費やされた。
山本監督は「順調に仕上がっている。後は本番を迎えるだけだ」と判を押したようなコメントをするものの、
そうして仕上がったはずのチームとしての代表の完成度にはかなりの疑問符があった。
といっても、個人としての選手たちには何の問題はない。”谷間の世代”などといわれたのも今は昔のこと、今回参加している顔ぶれを見ても能力的にはA代表と比べても遜色ないレベルの選手が揃っている。(もっともレギュラーの1/3は上下の世代からの寄せ集めではあるが・・・)問題とするべきはやはり組織としての完成度のほうだ。
直前、あるいは本番の最中でも執拗に繰り返されるテスト用の布陣。
一部報道によると、山本監督は”シュミレーションおたく”ともいわれているようだが、「ひょっとすると自分の思いついた案を色々と試してみたくて仕方がないのだろうか」などと邪推すらしてしまうほどにレギュラーが一向に固定されず、チーム内の約束事が構築される兆しが出てこない。
A代表に比べ比較的まともにチームが運営されているにもかかわらず、実際のピッチ上でのプレーには”約束事”があまりに見えない。
それとは逆に、露骨に出てしまっているのが理想主義的なチームの柱となる”コンセプト”のほうだ。
基本的に”コンセプト”と”約束事”は全く別物。
前者はチームの概念を言語化したもの、後者は実際のプレーのディテールを示す。
これをアテネ代表に置き換えるならば、前者にあたるのは「15秒以内にゴールしろ!」である。
この”15秒コンセプト”は山本監督が就任以来、常に言い続けている正に戦術の根幹をなす重要なコンセプトであるが、
一番の問題はピラミッドの頂点に掲げられたこのコンセプトが後者の”約束事”、すなわち戦術的なプレーのディテールとして根を下ろしているかという点だ。
以前述べたことがあるが、こういったトップダウン型のチーム作りをする場合、
主幹となるコンセプトと、それに付随する多層的な戦術的ディテールを考案する必要がある。
この場合”15秒内の攻撃の貫徹”という概念を実現するための具体的な攻撃とその試行方法ということになる。
0.15秒コンセプト
↓
(行うこと)
1.素早い攻撃の展開を実現する
2.前線からの守備でボール奪取を狙う
・
・
・
↓
(全体的な概念)
1-1.ボールの保有権の移行と同時にパスで広域に展開
1-2.
2-1.全体をコンパクトにしプレッシャーを強める
2-2.
・
・
・
↓
(ディテール 深度1)
1-1-1.
・
・
・
↓
(ディテール 深度2〜)
1-1-1-1.
・
・
・
↓
(最終的な段階)
・チーム全員がコンセプトから戦術までを理解・実践できる
そういった戦術的なチーム構築の手法に対して、実際の山本JAPANは五輪の時点で一体深度いくつほどの段階にあったのだろう?
今までのいろいろなコンセプトを持ったチームと比較するならば、U23代表チームの戦術的な深度は極めて低いと判断せざるを得ない。
なぜならば、実際の試合において対応の仕方が局面ごとに違いすぎるのだ。同じような場面であるにもかかわらず、誰がどのように対応するのかが明確でないから、さっきまではうまく対処できていたようなシーンが途端にうまくいかなくなる。そうなるとどうしてもカバーリングに終われ、臨時の対応が多くなるから守備に隙が生じやすい。パラグアイ戦の大量失点もそういった曖昧な決め事の隙間を突かれたに過ぎない。
感覚的にいえば、このチームの戦術的な深度は数年前や数ヶ月前でなく、数週間前に初めて召集されたチームとほとんど大差ないレベルにある。
ただしそういった長い強化の期間内に選手達が格段の成長を見せたことで、チームのベーシックなレベルをアップさせていたこと、
チームとしての団結力などの精神的な部分に対して良い働きがけがあったことに異論はないが、そのことと実際のチームとしての完成度が向上しているかとはまた別の話だ。
他でも指摘されていると思うが、確かにこのチームには戦術的な約束事が少ない。
より重要なのはそれが山本監督の意図するところだったのかどうかという部分だ。
発言や選手起用を見る限り、彼にはそもそも約束事自体を構築する気が無かったのではないかと推測する。
■攻撃に関する幾つかの問題点
直前まで未整備の戦術とその不安が正に的中した形でのオリンピック敗退を見て、「あれだけ時間をかけてどうして」と思われるのも当然だろう。
戦術的な深度が低いということ、戦術についてまだ詰まっていないという段階でその戦術について語るのは実際には非常に困難だ。
ちょうど料理の途中では、調理後の味や形を判断できないのと似ている。
具体的に攻撃の問題に関していえば、狙いが一本調子でそれを相手に読まれてしまっていた部分が最も大きかった。
つまり攻撃のバリエーションがなかった。
先ほどもいったように山本JAPANは攻撃を15秒以内に貫徹することを前提としたチームだ。
各選手が相手のラインの裏やスペースへ走りこみ、前へのパスを意識して素早くゴールへ迫る。
仮にそれを完璧にこなせていれば何の問題もないのだろうが、そうするためには実践する選手のレベルが極端に高い必要がある。
しかしそういった狙いを知る相手がいれば、当然スペースを与えないような対応をしてくる。
DFラインの裏のスペースは消失し、付けるはずの相手の隙は極端に減り、結局当初の狙いとは裏腹に攻撃のほとんどを前線の平山や田中の高さと速さに頼ったロングボールの放り込みでの局面打開に終始してしまったのがアジア予選での戦い方だ。
放り込まなければいいのでは?と思うかもしれないが、山本監督の意識付けがよほど強かったのだろう。
このチームの場合、15秒以内に攻撃に関して何らかのアクションを起こすことが完全に義務付けられているようだった。
選手に蔓延するこの15秒間の”縛り”が、チームの完成度や戦術の深度を最後まで引き上げられずにいた根本的な原因だ。
A代表を反面教師とするならば、15秒コンセプトに代表されるショートカウンターは確かに現代サッカーには不可欠なものだ。
しかし、それはあくまでも手段であって目的ではない。
改善すべきだったのは選手の動きのバリエーションを増やすこと、時間を与えることだった。
図はショートカウンター時の前線の理想的な動きの一例だ。
このチームの場合、一人ひとりの動き出しの質は高いものの、各選手の連動性がないためにお互いの動きでマークを引き付けすぎて、
味方が使えるスペースまでをも消し合い、狭いスペースしか使えていなかった印象が強い。
山本監督がチーム強化でなく選手選択に時間を使うことに終始し、選手同士のコンビネーションを構築できなかったこともそれに拍車をかける。
さらにあの15秒コンセプトが追い討ちをかけるように、せっかく出来たスペースに後ろからMFが飛び込む時間が与えられなかった。
相手はFWの動き出しと裏へのパスにだけ警戒すればよくなり、非常に守りやすい攻撃を繰り返してしまう。
こういった状況を打開するには、ショートカウンターの為の動き出しの質と連動性を高めると同時に、
ショートカウンター後の二次攻撃についても十二分の準備が必要になってくる。
このチーム最大の問題はこの”アフター15秒”の動き出しの質の悪さにあった。
質が悪かったというより、むしろアフター15秒に対するプランがこのチームからは抜け落ちていたような印象があるし、実際想定されていなかったのだろう。
ボールを奪って相手陣にうまくボールを運べなければ、前線を使うでもなくサイドを使うでもなく、後は漫然と相手にボールを渡るのを待つだけだった。

(『ANB:アテネ五輪代表 日本 vs イタリア』より)
左の図はイタリア戦での1シーンだ。
絶対勝利の求められる中、ディフェンスの硬いイタリアを相手に数点のビハインドを負い、積極的にゴールを狙っていかなければならない時間帯ではあるはずが、
そういった相手の守備を突き崩すための”動き直し”の気配すらない。
この試合では戦前から十分予想しうる”アフター15秒後の硬直”を打開する動き直しの意識が最後までなかった。
こういったスペースを潰して厳しいマークでディフェンスをする相手には、逆に相手のマークの意識の高さを生かす攻撃が有効だ。
右図はスペースを消す相手に対するアフター15秒の動き直しの例だ。
点線で示した動きは全て囮の動きとパスで、Aの楔を受ける何気ない動きに端を発する連動した動き出しの狙いは、広いスペースを作り出した上でCに決定的なパスを送るためのものだ。
実を言うと、これは2000年のアジアカップレバノン大会で行われたトルシエジャパンの前線のローテーションによる動き直しを示したものだ。
その大会で日本は相手の引いた守りを事前の準備段階で予想し、動き直しのパターンを選手達に徹底的に叩き込むことで”オートマティズム”と言われる連動性を勝ち取るに至り、大会を制するに至る。ここで示したのはゴール前での動きに関する問題だが、中盤でのボール回しについても同様に15秒後のサポートの不足が随所で見られ、事前の約束事の不足を露呈した。本大会では大量失点を喫したのは懸念されたサイドプレーヤーの不足はもちろん、基本的にはこうしたボール回しの中での奪われ方が悪かったことも原因に挙げられる。
こうして整理してみると、問題の根本的な原因が何処にあるのかが見えてくる。
残念ながらそれは選手のプレーの質ではなく、山本監督自身にあるといって間違ない。
明らかに想定されうることへの対応がなされていない、事前に組み立てるだけの十分な時間を要しながら、準備不足を露呈した。選手達の経験と実力が足りないと言った山本監督だが、それが最も不足していたのはピッチ上の誰よりも監督のほうだったようだ。
■守備の隙と攻撃の能動性について
サッカーに限らない、というよりも特にサッカーは相手の隙を常に突いていくスポーツだと言える。
多くの選択肢がピッチ上に点在するサッカーにおいて、ここが弱い、あそこが弱い、というのを瞬時に判断していく能力は非常に重要となる。
ところでこの”隙”とは一体何なのだろう?
ほぼ同意語で使われるのが”弱点”という言葉だが、”相手の弱いポイント”といった場合での”弱点”は極めて相対的な意味合いが強い。
例えば「あのチームはヘディングが弱点」と言った時に、それがどの程度弱いのかは、この言葉からは全くわからない。
選手の平均身長が160cm台なら確かに弱いだろうが、対戦相手も同程度ならばそれは特に弱点ではなくなってしまう。
これとほぼ同様のことが言えるのが、市立船橋などの学生のサッカーだ。
市立船橋はゾーンディフェンスを積極的に採用し、組織的なサッカーと堅守で高校サッカー界に君臨する強豪。
昨年の天皇杯でJリーグチャンピオンの横浜FM(メンバーは落としてはいたが)と死闘を演じられたのも決して偶然ではない。
高校レベルにおいては、彼らの行うどの試合を見てもいわゆる”隙らしい隙”は見当たらない。
しかし一度そのカテゴリーを飛び出し、Jリーグチームと対戦してしまえばメンバーが大きく入れ替わり、コンビネーションもまま成らない選手達に対しても、
瞬く間にディフェンスラインは崩れ失点をしてしまう。
そうであるにも関わらず市立船橋は高校サッカー界においては強豪であり続ける。
それは市立船橋のサッカーに隙がないから崩せないのではなく、相手の高校生がその隙をつけないからであり、つまり一概に隙といっても様々な段階があるということを示している。
高校でも強豪クラスになると、定常状態では大きな隙というのは発生しない。
ディフェンス陣の前で横パスを単純につなぐだけなら守備が崩れることはない。
プロとアマチュアのサッカーが決定的に違うのはここからで、最も顕著なのが揺さぶりをかけた時の対応力の違いだ。
例えば、先ほどから何度か例にあげる市立船橋などの高校性の段階では、
守備のポイントを外した上で、鋭いパスやドリブルにコンビネーションをからめていけばその組織も簡単に崩れていく。
さらに試合展開に変化をつけるために時折ロングボールを放り込んだりなどして、
相手のプレーのリズムそのものを狂わせる手段も頻繁に用いられると崩壊の度合いはより一層顕著となる。
これがJリーグのチームだとそういった簡単な”揺さぶり”はほとんど通用しない。
選手自身がそういった揺さぶりに対して多くの経験があること、さらにそういった状況に対する対処を行える高い実行能力を備えているためだ。
つまりある一定以上のレベルを過ぎれば、定常状態では隙そのものがない。
自身の隙を無防備にさらすチームはほとんど存在せず、必ず何らかのベールによって覆い被されている。
あるはずの隙、隠されている隙を露呈させるためにはどうしてもこちらから能動的に攻撃を仕掛ける、いわゆる”揺さぶり”をかける必要がある。つまりチームの攻撃力とはこの揺さぶりの巧みさと強さと速さと的確さであり、チームの守備力というのは一定の揺さぶりをかけられた時に発生する隙の大小、発生した隙を埋める修正の速さで決まってくることになる。
賢明な読者ならば既におわかりだろうが、今回のオリンピック代表の目指した15秒コンセプトとはボールを奪った直後の相手がまだ定常状態を形作る前の段階、
つまりナチュラルに隙があるわずかな時間を狙って攻撃を仕掛けるというもので、本来は相手が既に守備のブロックを形成した後、例えば相手が前半の早い段階で先制をするなどした後の状態からでは全く効果がないということになる。相手のバランスが崩れている段階ならともかく、相手のバランスが整っている中を、15秒間の攻撃で突破していくことは容易なことではない。
そういった守備を崩したければ、ポゼッションを保ちながらも自分達から積極的かつ能動的に動き出し、自らのバランスを崩していく必要がある。この動きは先ほどから指摘するようなアフター15秒の範疇に当たるものだ。
選手のポテンシャル・実能力も十分な上に、チーム構想を練るだけの時間も過去前例がないほど与えられていたアテネ代表チーム。
そうした状況下で山本監督がこのアフター15秒の戦術的な想定を怠ったことは、守備の隙と攻撃の能動性に関する原則を照らし合わせると知らなかったでは済まされない重大な問題に思えてくる。チーム状況を冷静に分析すれば今回の結果に関する事前の予測はついていたとはいえ、この敗退は単に我々に失望感を残すだけでなく、日本サッカーの進歩を妨げる結果につながることを考えれば、その罪は極めて重いと言わざるを得ない。
■選手の質を極端に重視する山本監督
山本監督自身はもともと育成畑の人で、現在の常勝磐田の基礎を築いてきた内の一人だろう。
初めて監督として率いることになった山本氏のU23代表チームに対する強化の面での発言は、そのほとんどが選手達の”意識”についてのものだ。
「”意識”が足りない」「”意識”を持ってやっていく」
意識とはサッカーにおいては判断に類する言葉。この場合は「もっと判断力を向上させよう」といっているにすぎない。
つまりは山本監督は選手の成長の伸びしろを信じ、選手の成長を促すことで、本来は戦術的に解決させるべき問題を能力的に上回ることで解決させようとしているようなのだ。
「君達ならばこの試練を必ず乗り越えると信じてる」と言いながらも、一方ではアジア予選を文字通り一丸となって突破したチームにいきなりオーバーエージ(OA)を放り込もうとするのは矛盾しているように感じられる。
経験不足から若手に任せるには不安の残るGKや本職不在の左サイドならまだしも、その絶対的な存在感から加入がチーム方針にまで影響するであろう小野伸二、さらには平山・田中・大久保・高松などの有り余るFW陣に高原を本気で加えようとするとは一体どういう意図があったのだろうか?
まず一つ目に考えられるのは五輪代表選手達への不信感が存在していたということだ。
前線の選手達のレベルの高さは、前回大会を遥かにしのぐ状況にあることは既知の事実だが、その上で前回大会を経験し、尚且つ未だ怪我の癒えない高原を”無理やり”OAで放り込もうと考えるとは、もはや常軌を逸している行動のように思える。
口にこそ出さないものの、それまで常に寝食をともにしてきた彼らに対して信頼感のようなものはこの期に及んでも一切無いようだ。
二つ目に考えられるのは、選手選考が完全実力主義であるという点についてだ。
各所で指摘されていたことだが、層の厚いFWには使わず、専門職の不在の左サイドに優先的に使ってしかるべきだったOA枠を、
山本監督は高原・小野・曽ヶ畑というセンターラインの選手に迷わず全て使った。
そして実際には高原選手が召集不可となり、枠が一つ空くことになっても、やはり左サイドの召集まで考慮はされていなかった。
実際に、オリンピック本番で左サイドのポジションを松井が何度も担当することになったことからも、それをミスと指摘されてもしかたが無いだろう。
こういったOA枠をめぐる選手選考からわかるのは、最も重要なポジションには最も実力のある選手をどうしても選びたかったということだ。
山本監督の場合、はたから見ていると選手選考に対する基準が明確でなかったようなところがいくつかあったが、基本的にはこういった選手選考の仕方がもたらしたものだろう。
就任からしばらく問題となっていたのはDFラインの”リベロ”枠に関してで、最初はフィードを期待して青木が入っていたが攻守において全く機能せず、たまたま入った阿部が一時的にリベロに就任するも、今度は帰化申請の済んだトゥーリオがいきなりDFラインに入って今までになかった高さを見せつけると、当初想定したロングフィーダーとしてのコンセプトはスッポリと抜け落ち、そのままスタメンに定着してしまう。逆にそれまで不慣れなポジションで頑張ってきた青木は、クラブでボランチとして格段の成長を見せていたにもかかわらず、本来の得意なポジションで起用されることもほとんど無いまま選考から漏れた。
また今回小野を呼んだことで、それまでキャプテンとして身を削ってチームを見事に統率してきた闘将鈴木があっさりと代表から外れ、
また田中・松井・小野の揃ったトップ下に押し出される形で山瀬が外された一方では、大怪我以来コンディションが復調していない駒野が左サイドの控えとしていきなりの代表入りは果たすなど、それまでの経緯や働きぶりはまるで考慮されずに、少しでも実力が上と判断すれば旧ポジションの人事はリストラあるのみ、というのがこれまでの山本人事だ。
こうして見ると、自身が強調する山本監督の選手への愛情には、あまりにも冷酷な一面があることは否めない。
三つ目として、山本監督は自身を優秀なコーチ、優秀な監督であると勘違いをしているのかもしれないということだ。
コーチとしての経験は十分だが、所詮コーチなど正当な評価をされないのと同様に批判もされないような立場だ。
”まだ”という言い方も出来るかもしれないが、監督としての山本氏は実績も実力も足りないのだが、しかしながらご自身はそう考えてはいないようで、これは備忘録が出版されたときにも全く同じような印象を受けたが、代表での経験が多くあるので監督業も十二分やっていけるという自信が垣間見える。
だがやはり監督とコーチでは役割も実際にこなす仕事も責任も違う。
例えば岡田監督は「監督とコーチの立場の違いは、コーチと選手との差よりも大きい」とその違いを明確に語っている。
それこそA代表監督とU23代表監督ですら、その重要性には雲泥の差がある。
負けてもへらへらのオリンピック代表監督に比べ、A代表は日本サッカー界全体に対する責任が重く圧し掛かる。
そういった差を認識せずに前監督を批判し、一方で協会の検閲済みの備忘録を出版するあたり、失礼だがあまりにも行動が軽率すぎた。
■山本監督の指導力は低いのか?
アテネオリンピックは非常に残念な結果となったが、選手達の実力を見る限り、もう少しうまくやれていれば強豪ひしめくGLを突破する可能性は十分にあっただろう。
最後の最後まで戦術的深度が深まらならなかったオリンピック代表。
そういった状況を招いた原因が山本監督の制限された条件化でどうやって一定の結果を残すのかという思慮を欠いた、選手の能力と結果が比例するかのような隔たった考え方がもたらしたものだ。
しかしアトランタ時代から日本代表を陰で支え続けてきた山本氏だからこそ、我々はそこに一つの限界も見出せてしまう。
山本氏は確かに監督としての経験に乏しいが、彼が日本の指導者の中でもレベルが低い方だとは決して思えない。
今回の件に関しても、幾分指導に問題があったとはいえ、そういう考えが変わることはなかった。
つまり山本監督の限界は我々を含めた日本のサッカーの限界そのものである。
確かにプロリーグが誕生して10年そこそこでは、欧州に並びうる現代的なサッカーの指導法を見につけた、優秀な指導者が数多く排出されるとは考えにくいからだ。
プロリーグの誕生に始まり、その集大成としてのトルシエの率いた4年間での実績、並びに2002年ワールドカップでの一定の成果をもって、
日本人もついに欧州と肩を並べられるほどのサッカーとその手法を身に付けることが出来ている、などと勘違いをしていた、思い上がっていたのかもしれない。
実際にはトルシエが残し、日本が学んだはずの現代サッカーの手法は全容からすればまだほんの一部であったこと、
我々はそれをほとんど知らず、”代表”という格好の媒体を通じて常に学び続け、今後はそれを一般化していかなければならないという事実は変わらない。
次期オリンピック代表も加えてA代表も日本人監督が勤める確率はきわめて高いといえるだろうが、それはやはり次期尚早であるといえる。
実力のない名前だけの代表監督など置物と同じ。
性格難で協会と関係が保ち難かろうとも、日本代表監督には現代サッカーの手法を残していける指導者こそふさわしいのではないだろうか。
(seri)
<目次>
■オリンピック代表の戦術の”深度”
■攻撃に関する幾つかの問題点
■守備の隙と攻撃の能動性について
■選手の質を極端に重視する山本監督
■山本監督の指導力は低いのか?