魔術師(mago)と呼ばれた男

■本名 : Helenio Herrera(エレニオ・エレラ)
生没年 : 1916年4月17日〜1997年11月9日
出身国 : アルゼンチン・ブエノスアイレス(フランスに帰化)

■現役時代の経歴 :
▽在籍チーム
1936-45 : レッド・スター、ストード・フランスなど

■監督時代の経歴
▽就任チーム
1948-49 : バリャドリード
1950-51 : アトレティコ・マドリード
1952 : マラガ
1953 : コルーナ
1954-58 : セビリア
1958-60 : バルセロナ
1960-66 : インテル
1966-67 : イタリア代表
1967-68 : インテル
1973-74 : インテル
1976-77 : リミニ(セリエB)
1980-81 : バルセロナ
※彼の在籍年と優勝チームを要参照

▽タイトル
<A・マドリード>
50、51 : スペインリーグ優勝
<バルセロナ>
59、60 : スペインリーグ優勝
59 : UEFAカップ優勝
60 : 国王杯優勝
80 : 国王杯優勝
<インテル>
63、65、66 : スクデット(セリエAリーグ優勝)
64、65 : チャンピオンズカップ
64、65 : インターコンチネンタルカップ(現トヨタカップ)

■攻撃サッカーで成功を納めたエレラ
エレラは1916年4月17日、アルゼンチンのブエノスアイレスで生まれる。 彼がまだ幼いころに家族はフランス領モロッコへと移住、 後にフランスへ帰化したエレラはプロのサッカー選手としてフランス本国でレッド・スターやストード・フランスなどでプレーをしていた。 だが、現残するどの文献にも彼のプレーを賞賛するものは見当たらない。 早々と現役を引退したエレラは1945年にコーチとして古巣のチームで指導をした後、隣国のスペインに渡りバリャドリー、A・マドリード、マラガ、コルーナ、セビリアで監督を務めた。 特にA・マドリードでは2つのシーズンタイトルを獲得し、それらの実績が認められ強豪バルセロナの監督として招かれることとなった。

ディステファノら当時既に黄金期を迎えていた「白い巨人」レアル・マドリードを押さえ、エレラ率いるバルセロナが2年連続でリーグチャンピオンを獲得する。しかしながらチャンピオンズカップに関しては依然レアルが一枚上手であったようで、直接対決で負けを喫したバルサは第1回大会から5大会連続での優勝を許していた。 その攻撃的サッカーと巧みな手腕からマーゴ(mago:魔術師)と呼ばれ名声を欲しいままにしていたエレラであったが、そのレアル戦での大敗と選手の賃上げ運動への加担などが原因で2年間で合計4冠という抜群の成績を残しながらもクラブ側から解雇されてしまう。 スペインに別れを告げた彼は、翌年にイタリアのインテル(インターミラノ)で指揮を取ることになったのであった。

■結果を出せない攻撃サッカー
インテルで指揮をした最初の2年間、彼はそれまで通りの攻撃サッカーで試合に臨んだ。 開幕前にはイタリアの厳しいマスコミも賛辞をおしまず”優勝間違い無し”とのお墨付きがあったにも関わらず、 1年目が3位、2年目は5ポイント差の2位とあと1歩というところで結果を出せず苦しんでいた時期であったのだ。

エレラは62年に開かれたチリワールドカップ本戦でもスペインチームを率いてグループリーグ予選に望んだ。 同組には不運にも、その年の優勝国ブラジルと準優勝国チェコがいる巡り合わせの悪さもあり、1勝2敗という散々な結果で大会を後にしている。

ここ一番の大舞台に弱いエレラのサッカーが変わったのが62-63シーズンから。 インテルの会長であるモラッティは新シーズンを迎えるにあたってエレラをホテルの一室に呼びつけ次のように言った。 「チームを一から作り直すんだ。まずは守備を固めることから始めろ。さもなければ君を解任する。」 その名声から強気な性格の監督として知られていたエレラであったが、このときばかりは会長の指示通りチームの改革に着手することになる。

しかし、この改革が後に”グランデ・インテル”で記憶される伝説のチームを生み出すきっかけとなった。

■社会的な背景がもたらした必然としての”カテナチオ”
当時のイタリアはW杯連覇を果した30年代の栄光も既に過去の物となっており、57年のW杯地区予選では敗退という憂き目すら経験していた。 またこの頃はちょうど第2次世界大戦の真っ只中。欧州でも練習量の不足に伴ない選手の育成は損なわれ、特に技術レベルが全体的に下がった時期でもあった。 リーグは確実に足りなくなった戦力の補強のため、特に直接勝負を決する前線に優秀な外国人FWを投入するようになっていた。

彼がスペインでやっていたような攻撃サッカーを実現させるには、最も重要であったのが基本としてのボール際のテクニックであったであろうことは容易に想像できるが、 当時のイタリアはそれを行うには最も適さない環境と言えただろう。 それを証明するかのごとくイタリアでの彼のサッカーは中盤から前のバランスを欠き、それがチーム力を不安定にさせてシーズン終盤での勝負弱さを演出していた。 エレラはこの状況を打開すべく、それまで彼に多くの栄光をもたらしてきた愛着ある攻撃的なサッカースタイルを捨てた。 技術的に凡庸な選手達にはもっと簡単で限定的な仕事を与えようとしていた。 このときエレラがとった戦術が現在まで語り継がれるカテナチオ(南京錠)と呼ばれる独特のカウンターである。

ただ一口に『カウンター』と言っても、弱者が「一瞬のチャンスに全てを賭ける場合」と強者が「効率的な力の配分で相手の息を止める場合」の二種類に分類出来るが エレラのカウンターはまさに後者であり、強固な守備とそこからの多彩な攻撃は当時爆発的な得点力を誇ったのだった。 このカテナチオ型カウンターのルーツは1930年代のイタリア代表監督ビットリオ・ポッツォが生み出したものであるのだが、 皮肉にも現在はエレラがその代名詞となっているのもグランデ・インテルの驚異的な強さのためイメージが固定化しまったためである。

■強さの証明と黄金期の終焉
名将エレラに率いられたインテルは63年に遂にスクデットを獲得した。(この優勝にはサッカー通としても知られるモラッティ会長の助言が大きな助けになったようだ。) 1年目では73得点39失点と不安定な戦いが続いていたが、スクデットを取ったその年のシーズンでは56得点20失点と失点の数を驚異的に減らしている。(ただし得点に関しては他チームとそれほどの差はない)

翌シーズンにはチャンピオンズカップ決勝で彼の宿敵であるレアルを下して優勝を勝ち取った。 その後行われたリーグチャンピオンを決める同勝点でのプレーオフには敗れてしまったものの、 インターコンチネンタルカップ(現在のトヨタカップ)では南米代表のインディペンディエンテを2試合とも無失点で破り優勝。 さらに64-65シーズンにはスクデット、チャンピオンズカップ、インターコンチネンタルカップを制し、 66年にもイタリアリーグで優勝とまさに黄金期を築いた。

しかし68年にモラッティ会長とエレラが相次いでインテルを去った時期を同じくして”グランデ・インテル”の勢いは急速に衰えていく。

国内では強豪の地位を保ってはいたものの、国際舞台で活躍する機会は極端に減っていった。 ファンは”グランデ・インテル”がエレラによってもたらされた一瞬の輝きであったことを改めて認識することとなる。

■”カテナチオ”に必要なもの
エレラの生み出した戦術”カテナチオ”のコンセプトは堅守からの速攻である。

当時のイタリアのようなテクニックに劣る選手を生かそうと思えば、ボールが多くの選手を中継するような支配率の高い攻撃的サッカーは適さない。 限られた選手を使い少ない手数で相手ゴールまでたどり着く必要があり、 それは同時に相手の守備陣が最も手薄になる時間に能力の高い選手達を使い攻撃を仕掛ける必要があることを意味する。

だがそれらを実行する前提条件として、どうしてもまず強固な守備を形成する必要がある。 相手の前線選手の3人だけをマンマーク、その他はゾーンマークで守らせ、 FWも(当時としては)積極的に守備に参加した戦術はそれまでのイタリアにはなかったものだ。 守備組織とはサッカーの戦術の中で最も構築しやすいものの1つであるが、 いかに戦術の理解度が高くともそれだけでは相手の攻撃を完璧に封じることは不可能だ。

エレラは戦術家として知られているが、それと同時にいち早くメンタルトレーニングを導入するなどの”モチベーター”としても知られている。 例えば凡庸な選手に君はガリンシャ以上の才能がある。」とエレラは真顔で言い、 選手の合宿所の壁にはおまえがナンバーワンだ。「誰もおまえには勝てない。」と書いた張り紙が所狭しと貼ってあったという。 足りない技術はこうした負けない精神力と戦術でカバーした。 最後の局面では相手の得点を許さない鉄壁の守備・小人数で相手守備陣に切り込む強いメンタリティー・ 選手の高い戦術理解度などは現在のイタリア代表にも脈々と受け継がれているものである。

彼は「1-0」の完璧な試合を理想としたという。
死後公開された彼の何冊にもなるノートにはびっしりと戦術やその練習方法・選手に関する記述があり、 彼がチームや組織をいかに緻密に組み立てようとしていたかがうかがえる。

またエレラはこうも言っている。
「守備を組織するだけなら誰だってできる。」
結局のところ、エレラが組織した守備というのもそこからの良いカウンター攻撃を生み出すための前提条件でしかなかったというのが本当のところのようだ。 多くのスポーツでそうであるように、良い攻撃とは往々にして良い守備から生まれる。 ただ、我々が思う以上にカウンター攻撃は高度な組織力を必要とし成功させるのが難しくもあるのだ。

現代の相手の長所を消しその隙を突いて得点する泥棒のようなサッカーがエレラの評価を危なげなものにしている。 だが本家のサッカーの根底には攻撃サッカーの精神が流れていることを忘れてはならない。

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