Valery Lobanovsky 〜ヴァレリー・ロバノフスキー〜

■本名: Valery Lobanovsky(ヴァレリー・ロバノフスキー)
生没年: 1939年1月6日〜2001月5月13日



■現役時代の経歴:
▽在籍チーム
1939年1月6日生まれ
1958-1964: ディナモ・キエフ
1965-1966: チョルノモレツ・オデッサ
1967-1968: シャフタール・ドネツク

▽出場歴
ソ連リーグ258試合71ゴール(左FW)
ソ連代表2試合0ゴール
ソ連オリンピック代表7試合1ゴール

▽タイトル
1960: ソ連リーグ2位
1961: ソ連リーグ優勝
1964: ソ連カップ優勝

■監督時代の経歴:
▽就任チーム
1969-73: ドニプロペトロフスク(1971年にプレミアへ昇格)
1974-82: ディナモ・キエフ
1984-90: ディナモ・キエフ
1997-01: ディナモ・キエフ
1975-76: ソ連代表
1982-83: ソ連代表
1986-90: ソ連代表
1991-94: UAE代表
1994-96: クウェート代表
2000-01: ウクライナ代表(1998年1月から全ウクライナ代表監督)

▽タイトル
75: 欧州スーパーカップ(ディナモ・キエフ)
75、86: 欧州カップ・ウィナーズ・カップ(ディナモ・キエフ)
99: 欧州チャンピオンズ・リーグ準決勝進出(バイエルンに敗退)(ディナモ・キエフ)

74、75、77、80、81、85、86、90: ソ連リーグ優勝(ディナモ・キエフ)
74、78、82、85、87、90: ソ連カップ優勝(ディナモ・キエフ)
97、98、99、00、01: ウクライナリーグ優勝(ディナモ・キエフ)
98、00: ウクライナカップ優勝(ディナモ・キエフ)

76: オリンピック銅メダル(ソ連代表)
88: 欧州選手権EURO88準優勝(ソ連代表)

96、97: ウクライナ最優秀監督

■ロバノフスキーのサッカー:
ロバノフスキーは生涯を通じてディナモ・キエフと共に歩んだウクライナの名将である。
心臓が悪かったせいもあり、試合中全く動かなかったその姿から「石像」などと呼ばれたロバノフスキーは、 ディナモ・キエフの監督を兼任しながらソ連・ウクライナ代表を率いてシェフチェンコなどのスターを育ててきたまさに生ける伝説であった。 代表のそのほとんどがキエフの選手で構成されていたことからも戦術に対する徹底的なこだわりが垣間見え、 またコンピュータを駆使した科学的戦術分析とトレーニングなどを駆使したそのサッカーは、派手なプレーを否定し組織的でシンプルなプレーを好んだ。

ロバノフスキーが施行した戦術は、速く・美しいカウンターが特徴的である。 固定のシステムというものはなかったようだが、代表でよく見られたシステムは 前線の3トップが流動的に動く一方で、後の7人がオーバーラップと飛び出しを繰り返すというもので、長いパスを主体にした速くて切れ味のいい攻めを基調とする。 キエフがブローキン・シェフチェンコ・レグロフなどを輩出していることからもわかるように、特にFWやサイドの選手は誰が出て来ても速く、そして個人技に長けていた。

75年、ディナモ・キエフの就任当初から既に優れた監督であったのだが、そのころのエピソードにロバノフスキーの戦術の原点とも言えるものがある。 70年代中ごろ、キエフのコマーシャルトーナメントのためアメリカを訪れた際に、たまたま観戦したNBAの試合でロバノフスキーはそのプレッシングに大変興味を持ったようである。 帰国後、これをヒントにスピードに特徴のある選手達をそろえ、広いエリアをカバーさせるプレッシング理論を編み出し、 また選手選考の基準にスポーツ科学的な考えを元にした身体能力も重要視するようになったのである。

「試合中のエラー率が18%以下なら強いチームのはずだ。」という発言からもわかるように、ロバノフスキーはコンピュータを駆使したデータを重視した。 時間もスペースもない近代サッカーに対処するため、ボールが来る前にパスをどこへ送るべきかを的確に判断できるよう選手たちにはアメフトの様に何パターンもセットされたプレイを覚えさせたという。 しかしそのサッカーがそれまでよりも強烈に科学と規律を重んじていたため、選手たちは皮肉を込めて「ロボット」などと揶揄された。 国内では抜群の成績を誇ったキエフであったが、東欧のクラブ、特に経済体勢の脆弱な共産圏にあって選手の流出やクラブの運営面で難しいところもあり やはりというか、コンスタントな力を発揮することが難しかったことがタイトル数からうかがえる。

ロバノフスキーは「いいサッカー」から「戦うサッカー」を見直すそうだ。
一方では彼は「勝利は二の次、内容こそすべて」とも発言している。
これらの発言を聞くと一見、簡素で実利のみを追求するような印象のロバノフスキーのサッカーが、 実は彼自身の理想を体現する非常にコンセプチャルなチームを目指していたのではないかと思う。

■ロバノフスキーの発言を読み解く:
_サッカーに関して
◆「勝利は二の次。内容こそすべて。」
◆「優位にゲームを進めている方が勝つとは限らないのがサッカーだ。」
◆「良い彫刻家は必要でないものを取り去るものである。試合のモデルに合わない全てが不必要である。」
◆「スター選手はいらない。チーム全体が輝けばそれでいい。」
◆「試合中のエラー率が18%以下なら強いチームのはずだ。」
◆「どんなに美しいゲームをやっても観客はすぐに忘れるもの。しかし、勝利という結果は忘れ去られないものなのだ。」
◆「フットボールに飛躍はないけれども、日々進展するプロセスがある。最後の革命は1974年のオランダと有能な(西)ドイツで完全のフットボール哲学であった。」
◆(サッカーが魅力的でない意見に)「チームの魅力的な敗北を期待するであろうクラブ高官、あるいはファンがいない。」

組織的でシンプルなカウンターを好んだ監督らしい発言が並ぶが、しかし「魅力的なチームがいかに現実的でないか」を説きながら、 一方で非常に魅力的で、現実らしからぬパスサッカーを展開するオランダサッカーを「非常に革新的」と評価するのは面白い。

おそらく彼が否定したかった魅力的サッカーというのは一昔前のドリブルを多用したサッカーのことであろう。 それを証明するように彼はサッカーのドリブルについてこのように発言している。

◆「試合の要素の1つはボールと一緒に走ることである。近代的なフットボールではそれをとても上手に使わなければならない。 ゲーム中、140回それを使うチームは非常に良くない。30回それをするチームは最高クラスである!」

_チーム作りに関して
◆「我々は例え若干の段階で負けるとしても自身のモデルを作らなければならない。」
◆「私は『新しい物の人気が高くなくてもよく、今すぐ効果的でなくてもよい。』と説明するのをやめることができない。」
◆「『98-99年のチームを作るにはどれぐらいの時間を要するであろうか?』と私はしばしば尋ねられる。 私はそれを知らない。あなたは真新しいメルセデスをつくるためにどれぐらいの時間を必要とするか?」
◆「本当にパサレラのようなコーチがいる。結局それは5本のマッチであり、5つの敗北と彼が取り去られた。 一方でチームを作るコーチがいる。例えば私はエクトル・クーペルが好きである。」

この発言からもロバノフスキーはチーム作りに対してコンセプトを持つことを命題としていたようで、 目標とするスタイルをチームに浸透させるのに時間がかかることも「メルセデス」のたとえからもよく知っていたと推測できる。 好きな監督が似たサッカーを施行しているクーペルであるのも非常に興味深い。
_コーチの姿勢に対して
◆「もし学ぶべき価値を持った何かを見付けたなら、私はすべてのコーチの考えに従う。私はいつも学んでいる。」
◆「コーチは芸術家である。コーチはミスをしてもよい。さもなければ進歩がないであろう。」
◆「監督たる者、試合あるいは結果に感族するべきではない。」
◆「コーチは時間と場所を保証される場合に限り働くことが可能であるべきである。そのときに初めて仕事をすることができる。」

ロバノフスキーがクーペルと違うのは、クーペルが「私は刑務所と軍隊が好きだ。」と言っているように完全な管理サッカーを目指すのに対して 「勝利は二の次…」という言葉にもつながるのだが、新しい戦術や考えに寛容であったことを示している。 また絶大な待遇をソ連やウクライナで受けていたような印象があるロバノフスキーが、そういった体制に常に不満を抱えていた事がわかる。
また彼はこうも言う。

(互角のチームを持つことを望んでいたことに対して)
◆「私は世界中のチームが2つの平等なチームを持っているとは思わない。全てのプレーヤーが個別のスタイルを持っている。 けれども我々は元気なおよそ可能な上流のプレーヤーを近代的なフットボールの原則で教養を身につけさせることを熱望するべきである。」
◆「我々が知りたいのはプレーヤーがどのように普遍的であり、フットボールについてどういう教育を受けたかである。大金を支払う危険を冒すことは思慮がない。」

キエフがあまりにも優遇されているために国内にライバルといえるクラブがないこと、それによって選手の成長が損なわれていること、 レベルの高い相手との試合経験の少なさ、これらが国外での成績が思うように伸びない原因だと考えていた節がうかがえる。
_マスコミに対して
◆「我々が怪しいと思うのは我々が理解しないすべてである。 しかしながら我々は多くの個人的解釈によりこの誤解を扱う。 」
◆「私はバカな人の数だけ対立を持っている。それらの人々と共通する何ものも望まない。 例えばこのインタビューは発表される、そして誰かが『 ロバノフスキーは間違っている。』と書くであろう。 問題ない。あなたはそれが好きであっても仕事である。」

国内で最強を誇るにも関わらずカウンターをその戦術の主軸としたのにマスコミは不満だった。 しかしロバノフスキーがカウンターを目指したのは所属選手の実力などを考慮して、国内でなく国外での試合を想定してのものだったのではないか? そうでなくては経済的に不利な東欧のクラブチームでチャンピオンズリーグ準決勝進出などおそらく無理であったろう。

そのチャンピオンズリーグの予選リーグで対戦したアーセナルのベンゲル監督が次のように言っている。
「今日の2、3点目は完ぺきな形でやられた。彼らはこのまま突っ走るかもしれない・・・」
結局キエフは道半ばで敗退した。しかしその昔、辺境の地でシンプルでストイックなサッカーが行われたことを忘れない。

■関連リンク : 「ロバノフスキーに思いをはせて」