第2回 : 「3-5-2」システムの概要(その2)
〜 トルシエの戦術とその変遷 〜
■ 「戦術的成功」 〜若い世代の台頭〜
  (ワールドユース 〜 アジアカップ)
(1)3-5-2OV @ FIFA World Youth Championship
(2)3-5-2OV @ Sydney Olympic 1st round
(3)3-4-1-2 @ Sydney Olympic Final round
(4)3-4-1-2 @ Sydney Olympic
(5)3-4-1-2 @ Asian Cup

■ 「守備組織の崩壊と再構築」
  (サンドニ 〜 コンフェデ)
(6)3-5-1-1 @ Saint-denis Stadium vs France
(7)3-5-1-1 @ Cordova vs Spain
(8)3-4-1-2 @ FIFA Confederations Cup vs Cameroon

■ 「プラスアルファの模索」 〜捨てられた試合〜
  (セネガル戦 〜 イタリア戦 〜 ワールドカップ)
(9)3-4(-3)→3-5-0-2 @ Felix-Bollaert Stadium vs Senegal
(10)3-4-1-2 @ Saitama Stadium vs Italy
(11)この時期のオプション項目
(12)3-4-1-2 @ 2002 FIFA World Cup

■ コラム : 「オマージュ」

■ 「戦術的成功」 〜若い世代の台頭〜
ここで述べることは純粋にトルシエが日本で行った4年間の戦術の軌跡である。
非常に残念なことに、ワールドカップが終了してどのメディアもガスが抜けた風船のように緊張感が薄れ、トルシエの戦術について改めて振り返りながらその意図を読み取るという作業が成されなかった。 原因は色々とありそれも仕方ないこととはいえ、いささか怠慢な気もする。

トルシエが日本にもたらしたものを語るなどという野暮なことはしないつもりである。 後述のトルシエの戦術と変遷を追っていけば、そのこと自体にあまり意味がないことも分かるであろう。 おそらくこれから述べることによってトルシエの監督としての、特に戦術家としての優秀さを再認識することができると思う。

(1)3-5-2OV @ FIFA World Youth Championship
全てはこの世代の台頭から始まった。
トルシエはあるインタビューで「ダニッシュ・ダイナマイト…あれをやりたい。」と言っていたそうだが、 彼は代表に就任して早々、すぐにそれを実践しようとするのである。

ここでダニッシュ・ダイナマイトについて少し触れておこう。
ダニッシュ・ダイナマイト(以下DD)とは超攻撃的なポゼッションサッカーを試行した86年メキシコワールドカップに初出場したデンマーク代表のニックネームである。(その後は戦術に関係なくデンマーク代表を指すようなる)

この戦術の主な特徴はトータルフットボールの概念をその基礎とした全員攻撃・全員守備を、前述の高いボールポゼッションの中で行うという超攻撃的なものである。特筆すべきは左SHのレアビーが左利きの典型的司令塔タイプであり、その後トルシエが左SHに中村・小野などの司令塔タイプの選手を使うという戦術の根拠はここにあると言っていいだろう。(※本山は例外的にウィング色が強いが、球離れ・状況判断・ドリブルからラストパスなど守備面での不安はありながらも、そのプレーには司令塔的な要素がかなりあった。)

(1-1)3-5-2OV Denmark
しかし、単にトルシエがDDをコピーしたかったのではないということが次のことから分かる。

DDでは右SHがJ・オルセンという典型的なウィングプレーヤーであるのに対し、トルシエのそれでは守備を安定させるためにそこをあえてボランチもできるSHとして酒井を置いたのである。このことはDDがワールドカップ決勝トーナメントの初戦、その攻撃性故に守備の裏を突かれてスペインに5-1と大敗した事とは無関係ではない。両サイドとも攻撃的にするのではなく、左サイドのタメを作れる司令塔をその戦術の中心に、左右のチームのバランスを崩すことによって(これを参照)、相手のマークやバランスを崩し、加えて守備的な位置で構える右SHの攻撃参加も左サイドのタメがあることで流れの中だけではあるが行えるようになったのである。

これはトルシエ独自のアレンジであり、このようにDDを実現しようとしたものは未だかつていないのではないかと思われる。確かに攻撃の実利的な側面を追究すれば両サイドが常に高い位置を保つ必要はなく、ある局面・ある攻撃機会にどちらか一方が高ければそれで十分であるはずである。このコンセプト自体、一朝一夕に出るものではなく、おそらく日本代表監督就任以前からからトルシエの頭の中で長い間構想が練られていた戦術であり、またそれだけに彼自身にとって非常に思い入れのある戦術であっただろうことが推測できる。

余談だが、このときのDFラインには現在京都に所属する手島と辻本がおり、トルシエから学んだラインコントロールがチームでも上手く活かされている。

(2)3-5-2OV @ Sydney Olympic 1st round
ワールドユースの戦術的成果をチーム作りの指標としながら、若干メンバーを入れ替えてのぞんだシドニーの予選1次リーグでも同様にトルシエ型のポゼッションサッカーで戦っていくことになる。

予選の8戦中実に5試合でワンボランチを採用しており、中でも中村と小野がトップ下に2人並んだときの連携と攻撃力は破壊的で、左サイドの本山も加わってほぼ完璧な攻撃を仕掛けた。(しかし、この場合対戦相手のレベルが低いことも考慮しなければならないだろう。)また途中からチームに加わったFWの吉原は、その裏に抜ける感覚が絶妙でラストパサーの中村とのコンビで得点を量産していた。

だが1次予選の最終戦で小野が長期離脱となる大怪我を負ってしまい、このことがその後のトルシエのサッカーの質に微妙に影響を与えることになる。

(3)3-4-1-2 @ Sydney Olympic Final round
シドニー2次予選では、負傷の小野に変わりとして本大会まで召集の予定のなかった中田がチームに加わっている。これを境に、チームはそれまで行ってきたワンボランチではなくダブルボランチの形でのぞみ、以降はそれが完全に定着した。

何故このときトルシエが戦術的にも成功していたワンボランチを捨ててしまったのかは非常に興味深い。考えられる可能性は幾つかあるが、

(1)DDと同じく守備面での何らかの崩壊の兆しを感じ取ったため。
(2)中田がこの戦術にフィットしなかったが、変わりがいなかったため。
(3)ワンボランチはオプションでありダブルボランチでのチーム作りを念頭に置いていたため。
(4)予選突破のために安全な方法を選んだため。

などが挙げられる。 しかしトルシエの当時の立場なども含めを総合的に考えると、予選突破という結果が求められる状況においては1と4の両方であるように思う。

その後は中田の攻守に渡る活躍によって予選を見事突破するも、チームとしての質自体が明らかに1次予選のそれとはかけ離れていたことに一抹の不安を覚えるのであった。

(4)3-4-1-2 @ Sydney Olympic
シドニー本選では2次予選のメンバーを中心に、オーバーエージの楢崎、森岡、三浦淳(控え)がそれぞれ曽ヶ端、宮本、本山の変わりとして加入した。

特にCBの森岡の宮本との交代はチームの戦術に大きな変化をもたらした。
宮本がトルシエのやり方そのものにシステマティックにラインの上げ下げを行うために、DFラインの中でただ1人DFとしての本能的な危機察知の感覚がぬぐえない松田との相性が悪くなっており、変わりにラインコンとトロールが比較的穏やかで、カバーリングに優れる森岡(それしかしないという突っ込みは置いておくことにする)を抜擢し、チームの安定感を優先させた。

しかし、本大会では予想以上の苦戦(主に守備面)を強いられ、大きく誤算だったのが大会を通じて中村がかなり守備に負われる形になってしまった点だ。それでもゴール前までカバーリングに入るなどはっきり言ってかなり守備の出来がよかったのが幸いし、日本のピンチを"中村が"何度も防いでいたのには複雑な心境であった。

ではどうやって攻撃できたのだろうか?と今振り返れば、各試合で決してシュートの上手くない稲本が中央を駆け上がって得点をするシーンが目立っていることに気が付く。

この4年間の国際試合の中には、実際には左サイドの中村・小野などが相手に押しこまれて守備に負われていることも多かった。逆に押しこまれない場合は中田浩二の攻撃参加が目立っていたが、おそらく稲本がチームのバランスをとるために攻守に渡ってかなり意識的に自分のプレースタイルを変化させていたのだと思う。
左サイドが十分攻撃的に出来るならば守備的なボランチとしてCBのカバーやロングフィードに徹し、逆に押しこまれれば積極的に上がって攻撃の起点となる動きをする。現に、シドニーでも予選突破がかかるスロバキア戦において結果的に決勝点となった2点目をカウンターから叩き出したのは、FWよりも迷いなくゴール前につめたボランチの稲本であった。

これを踏まえると、稲本がワールドカップ本大会で2得点したというのも守備が上手くいっていたのに対し、攻撃があまり機能していなかったことの現れでもあるのだろう。

(5)3-4-1-2 @ Asian Cup
トルシエのチーム作りは一貫して前のチームのアレンジである。A代表のカテゴリーでもそれは貫かれ、A代表であるにも関わらずその戦術的な基礎は完全にU23シドニー代表のものであった。これを考えるとトルシエが予選では決して使わなかったオーバーエージ枠を本大会で突如使い始めたというのには、"シドニー世代へのA代表の融合"という通常の国では考えられないプロセスを経るための大前提であったという見方が有力になるであろう。そう考えると、トルシエはここまでかなり先を見越してのチーム作りを論理的に行ってきたことになる。

またこのころになるとトルシエのFWに対する要求も徐々にも変化の兆しが見られる。
FWが2人の場合、通常1人がポスト役であり、もう1人が裏に抜けるシャドーの役割であるのに対し、新たにFW2人が積極的にポスト役になるダブルポストの場面が増え、チームの狙いがFWの得点力に頼るのではなく、中盤の構成力を活かした攻撃にシフトしていったことが分かる。

それがもっとも顕著に表れたのがアジアカップ本大会であり、日本は素晴らしいパフォーマンスを見せることになる。

全ての攻撃はボールポゼッションと前述のダブルポストを前提とし、得点力を下げないよう1.5列目にシャドー役として森島を配し、攻撃の中心は文字通り"司令塔"の役割となっていた中村と自称"バランサー"の名波からのパスとポジションチェンジであった。(これに関してはトルシエの意図しないものであったというのが大方の見方である)サイドの守備は服部・稲本(守備的なバージョン)・明神が積極的に行い、前線の流動的な動きを影ながら支えていた。

攻撃に関しては文句のつけようのないものであったが、守備に関しては前線があまりにポジションが流動的過ぎて前線との連携が破綻してしまった。DFラインは崩れ、後方に広大なスペースを与えたために、実に大会平均1試合1失点と散々な内容であった。大会を通じて最も守備が崩され、前半でPKまで与えておきながら唯一失点をしなかった試合が決勝のサウジ戦というのも皮肉であろう。しかしシドニーでの敗退の痛手を癒すには十分な内容と結果ではあったのだ。
ここまでの約2年間がトルシエの戦術的な変遷の第1章である。
トルシエの攻撃的な戦術とテクニックにあふれる若い世代が融合して、チームとして非常に順調に成長を続けることができたこと、また一方では前述のようなフラット3をはじめ、守備面で多くの不安要素を抱えていたことも否めないのであった。

■ 「守備組織の崩壊と再構築」
(6)3-5-1-1 @ Saint-denis Stadium vs France
まったく不思議な試合だった。
また、それほど差があるのか?と愕然としてしまった試合でもあった。 混乱し、錯綜したのはピッチ上の選手だけではない。

5-0という歴史的大敗の原因は幾つかあるが、後になってロジカルに考えれば主に次のようなものになるであろう。

(1)ピッチコンディションの不良によるボディシェイプも含めたフィジカル差の露呈
確認するまでもなく日本人のフィジカルは弱い。 あたり強さ、走力、持久力など全てにおいて他の人種・民族に劣っている。 しかしサッカーという競技においては工夫次第でその差をある程度緩和することも出来るし、実際日本はそう戦ってきたはずだった。だが、あのぬかるんだサンドニのピッチはそういった可能性を全く摘み取ってしまった。

ボディコントロールに優れる中田以外の日本選手の足が異常に重いのに対し(当然、慣れもあっただろうが)ボディシェイプなどの技術が非常に有効に機能する状況であったために、フランスの多くの選手はまったく雨のピッチを肉体的にも技術的にも意にも介さないようであった。この時点でサイドを執拗に破られることは明らかだった。

(2)トリプルボランチの採用
(1)については単に資質と実力が足りないために生じることであるので、ある意味ではこの原因を素直に受け止めることもできるが、練習でも実践でもただの一度も練習したことのないトリプルボランチという布陣でのぞむのには疑問が多い。トルシエがトリプルボランチを使って後方の人数を増やして守備のゾーンをより細かく分割してしまったために、流動的なフランスの攻撃に対するマークの受け渡しの難易度を高め、加えて選手間の役割分担を不明瞭にしてしまった。

実際、アジアカップを圧倒的強さで優勝した日本であるが、あのトリプルボランチと使って果たして勝てるチームがアジアの国にあっただろうか?と今になって考えても疑問が湧いてくる。これまで極めて論理的に符合する戦術を実践してきたトルシエがこのような奇行に及ぶ必要がどこにあったのだろうか?

(3)無名監督としてのトルシエ
トルシエは世界的には全くの無名である。
これが少なからずトルシエの心理状態に影響し(アジアカップ後の高揚感も含む)先のようなトリプルボランチをぶっつけ本番で試すという奇行に至ったと考えるのが妥当な線だ。

話しはアジアカップの前、モロッコで行われたハッサン2世国王杯にまでさかのぼるが、このとき日本はフランスと既に一度対戦していた。 結果は常に日本が得点をリードしながら2-2のドロー、これがフランスにとってユーロ2000に向けての前哨戦であったために日本・フランス共かなりの真剣勝負であったことは明白であった。しかしその後ユーロ2000でフランスが優勝すると、ハッサン2世国王杯での日本のパフォーマンスが再評価されはじめる。「日本は実は強かったのではないか?」。その疑問に呼応するように「アジアカップで日本は圧倒的な強さで優勝したらしい…」。

それらの情報が組み合わさり、いざサンドニで日本と対戦するとなった段階でフランス国内の注目度は日本と同様に極めて高い状況であったことが今では知られている。例えば決戦当日のフランスの新聞の一面はサンドニで日本とフランスが戦うことを大々的に報じており、特集ページまで組み日本を紹介するなど盛り上がりは最高潮に達していた。

さて、ここでフランス人の無名監督トルシエである。
日本的な文脈を踏まえれば、当然アジアカップの布陣で臨むのが普通であろう。
だがトルシエは欲をかいてしまった。
日本のこれまでの成果を、たとえ力の差から大敗しようがドンと世界No.1のチームにぶつけるべきであった。だがトルシエはその実力の差を人数でカバーし、たかが親善試合に対して、ただみっともなく勝つことに集中してしまった。 多くのマスコミの前で自分の名前が知られることに集中してしまった。

結局はこのスタンスの違いが皮肉にも戦術的な破綻を来たすきっかけになる。 もちろんアジアカップの布陣で言ったところで5点くらいは取られていたかもしれない。だが1点くらいはとれていたかもしれないのも確かだし、そもそもアジアの国に毎試合1失点するチームがフランス相手に守りきれるという道理はない。そんなことはすぐに分かったはずだ。

しかも、たとえ負けても時間帯によってはフランス相手に華麗に攻めることができるかもしれないチームを、その是非すら確認する前に戸棚の奥にしまいこんでしまったのには、今となっても残念でしかたない。

結果的にサンドニの悲劇で得られたものは、フランス人の「守りにいったのに守れないどうしようもない貧弱なアジアのチーム」という日本(トルシエ)への評価と、「もう一度守備を見直す必要がある」という当たり前の課題だけだった。

(7)3-5-1-1 @ Cordova vs Spain
フランスの大敗からトルシエは多くを学んだようだ。
スペインには悪いが、今回ばかりは彼らは日本の単なる実験台にすぎなかった。
トルシエはこの戦いの位置付けを、後方に人数をかけたゾーンディフェンスで日本人が守りきることができるか?のただ一点に絞った。つまり今後日本がボールポゼッションの高い強豪と当たる際には守りきることを前提に、あわよくば1点を奪うという方針に切り替えたのだ。

その意味での対スペインというのは大きく、いつ当たれるかも分からない強豪国とすぐに対戦できたのだ。 ここでもトルシエはフランス戦のメンバーを守備的に入れ替え、ゾーンで守ることを前提にやはりトリプルボランチで「攻めない・守る」をテーマに戦った。これはフランス戦でのシステム選定は自分の判断ミスではなかったことを証明する意味合いもあったと思う。試合は当然スペイン優勢のまま進むが、失点自体は後半ロスタイムにパスミスからの1点に留め、89分間は結果的には守りきった。もちろん何度もチャンスは作られたが、攻撃力だけなら世界トップレベルのホームのスペイン相手にギリギリの所で何とかしのぐことができたのも確かだ。

このことはトルシエにとって非常に戦略的な幅をもたらす出来事だったように思う。

(8)3-4-1-2 @ FIFA Confederations Cup vs Cameroon
フランス戦、スペイン戦という強豪国との日程をブッキングしたにも関わらず良い成果をあげられなかったトルシエが、またも背水の陣でのぞんだコンフェデレーションズカップ。このときには例の2戦の教訓がうまく活かされ、大会を通じて守備力が非常に安定しており、日本代表はようやくチームとしての完成を見ることになる。

アジアカップと同じ3-5-2システムでありながら、たった一年で(その是非は別として)全く異質のチームを新たに作り上げたことはトルシエの戦術的チーム構築の能力の高さを示すものであろう。 アジアカップ時のサッカーを柔とすれば、コンフェデレーションズカップのそれはまさに剛。ダイナミックな攻撃というのは完全に無くなったものの、前線と中盤からのチェックが素晴らしく、そこからのショートカウンター気味の攻撃が有効で、中盤での有効なプレスがDFラインを安定へと導いた。

特に予選グループのカメルーン戦の出来の良さはここでわざわざ語ることもないほどだ。 しかしこの試合ではスペイン戦以来、波戸がつとめることが多かったSB的な縦の動きの右サイドよりも、明神の内への絞りがあったほうが中盤のプレスが効いており、日本のサッカーには合っていたようである。

ホームとは言え、その内容から決勝進出は当然というべきものだった。
決勝では実に3度目となる対フランス戦を迎え、中田不在の影響もあり日本はまたもトリプルボランチを用いた3-5-1-1の布陣をとる。同じくジダン不在のフランスに1-0の味気ない敗戦を喫したが、強豪相手にはトリプルボランチを使うというのがもはやトルシエの常套手段になっているようだった。

余談だが、この時の中盤の選手の構成は全員がボランチ経験者という非常に特徴的な布陣であり、 このことが少なからずプレッシングの向上に貢献したのではないかと思われる。
サンドニでの守備の崩壊からわずか数ヶ月の間に日本代表チームの完成度は劇的に向上した。 コンフェデレーションズカップを終了した時点で「ワールドカップに向けてここまで完成度の高いチームを得たならばもう何もすることはない。」と感じられた。 だがそれはトルシエも同じだったらしく、彼も「もう私のやることはない。あとは個人の能力を高めるだけだ。」と盛んにチームのダイナミックな成長ではなくプラスアルファを強調した発言をこの時期を境に繰り返すようになる。

実際にはその後の実験的な采配の数々が、トルシエがチーム作りの方法論にオプション指向で望んでいたことを明確にさせるのであった

■ 「プラスアルファの模索」 〜捨てられた試合〜
(9)3-4(-3)→3-5-0-2 @ Felix-Bollaert Stadium vs Senegal
コンフェデ以降の日本代表はベストメンバーでの戦術の再確認と選手の能力的な向上と共に戦術的なオプションとしてのプラスアルファの模索に没頭する。

このセネガル戦もサブ主体とはいえ、メンバーがそろわなかったというのは言い訳にはならない。 この試合の日本はサンドニの再来かと思えるほど圧倒的に攻められてしまった。 相手のセネガルがワールドカップ出場国であったことは日本に更なる危機感を与えた。

戦術的な問題がはっきりと出ていたのもこの試合の特徴だ。
前半戦の最大の問題は森島を意識しすぎてしまった藤本のFWに近すぎるポジショニングと奥のボールの引出しの少なさだった。 試合後のコメントで藤本は「森島選手の飛び出しを意識しすぎて、ゲームに絡むことができなかった。」という趣旨のコメントをしている。戦術的にもその通りで、コンフェデ以降の日本代表でのトップ下がこなすべき守備と攻撃の役割が出来ておらず、相手のボランチへのプレッシャーが全くといっていいほどかかっていなかった。

結果、日本の修正されたはずのDFラインの裏にボランチの位置からフリーでパスを出されてしまい、それと共にスペースを消すためにDFライン自体が自陣深く下がり更に前線との距離が開くという悪循環に陥っていた。頼みの左サイドも奥が上手くゲームにからむことが出来てずボールをキープしてDFラインを押し上げることも出来なかった。

この試合で一度作られてチームを実験台の上に乗せる危うさと、既に不可逆的になっていた戦術の方向性を再認識することになる。 混乱したトルシエは後半から強豪以外には使用しないはずのトリプルボランチを使ってこの急場を乗りきろうとする。機能しなかったトップ下を置かず、3-5-0-2のこの形はコンフェデの決勝のフランスを1失点に押さえたトリプルボランチを用いた有効な戦略であるはずだった。

だが事態は急変する。
トリプルボランチを使って守りきるはずの後半に、日本は2失点してしまう。
後半の内容は前半とほとんど変わらず攻められない・守れない上に、トップ下がいなくなったことで更に前線との距離が開いてしまった。

続くナイジェリア戦でも3-5-0-2を用いたが、トップ下不在のというセネガル戦とまったく同様の問題が生じ、またも2失点喫してしまう。稲本(彼の若い時のポジションはトップ下であった)が前半の短い間だけ、独自の判断により大きく開いてしまったトップ下のスペースに入って守備と球捌きを行い、その時間にはチームがよく機能していたのが印象的だった。スペイン戦以来、トルシエの中でオプションの1つと考えていたトリプルボランチが有効な戦術でないことが結果的にはっきりした試合であり、以降トルシエは強豪が相手でさえトリプルボランチを使うシーンは見られなくなる。

(10)3-4-1-2 @ Saitama Stadium vs Italy
日本で行われたイタリア戦はスペイン戦以来の強豪との対決といことで注目を集めた。 うれしいことに、日本は欧州の強豪相手にはじめてほぼベストの布陣でのぞむことになる。

試合は日本の前線からの厳しいチェックにより逆襲で奪った前半の1点と、後半のセットプレーからのドニのシュートによる1点で引き分けに終わったが、日本のチームの方向性は間違っていないことが確かめられた。 イタリアのコンディションとピッチの状態はどちらも良くなかったが、それでもオールスターとも言えるイタリアのDF陣から得点できたのは日本の成長を確認できた意味で大きかった。

しかし、この試合では1つだけ戦術的な問題があった。
波戸のポジショニングである。
もはや日本の戦術は中盤以上の組織的守備力を基本とした逆襲型サッカーであり、その中における右サイドの役割というのはまさにそのプレッシングへの参加できるかどうかにかかっている。波戸には中に絞るという感覚が欠如していたのだ。

誤解が無いように書くが、彼が代表に入ったのはスペイン戦以降の取りあえず引いた位置からの守備の再構築時であり、その過程において彼のCBまでこなせる引いた位置からの縦に強い守備力というのは生きていたが、ことここに至っては彼のプレースタイル自体がチーム戦術にマッチせず、トルシエの「内に絞ってプレーしろ」という指示も、彼自身全く理解できていないことが試合後のインタビューから読み取れる。 波戸と交代した明神が、短いながらも素晴らしい守備を見せていたのがその違いをよく表していた。

この試合が決定打となり右サイドのレギュラーは明神になり、 以降の親善試合では右サイドの変遷は波戸と市川のどちらがオプションとなるかの比較に終始している。

(11)この時期のオプション項目
ここではコンフェデ以降のセネガル戦からのワールドカップまでのトルシエ自身の戦術的プラスアルファを挙げていくことにする。

まずトルシエにとっての各試合の位置付けは次のような物になる。
(※ワールドカップのベストメンバーを基準とする)

■マッチプライオリティー(日付順)
<○ベスト、△時間帯によりベスト、▼準ベスト、×完全にオプション>
・2001年
 ×セネガル
 ×ナイジェリア
 ○イタリア(当然であろう)
・2002年
 ▼ウクライナ
 △ポーランド(仮想ベルギー)
 ×コスタリカ
 ×スロバキア
 ▼ホンジュラス
 ▼R・マドリード
 △ノルウェー
 △スウェーデン

次に、トルシエが各試合で行った選手交代の傾向を挙げていく。
顕著な特徴としては、プライオリティーの低い試合では控え組の選手がスタメンに多く、 途中交代でベストメンバーと交代している点である。

例えば右サイドを見ると、明神の出場機会はかなり少なく、本大会ではあまり使われなかった市川と選考漏れの波戸との交代が目立つ。これから右サイドのオプションをどちらにするかにトルシエが終始していたことを表している。

■オプション項目
<FW>
・期待の久保の起用(失敗)
・柳沢に右サイド起用(?)
・西澤のワントップ(?)
<MF>
・波戸に変わる市川の起用(成功)
・稲本→福西、戸田→明神(成功)
・戸田→福西(失敗)
・三都主と市川の同時起用(?)
・小野→中村(
・左の服部、右の小野(広山)(失敗)
<DF>
・中澤の起用(もちろん成功)
<戦術面>
・守備強化が目的のトリプルボランチ(失敗)

結果的にはこれらのオプションは杞憂に終わる。 トルシエのオプションの選定にも多少の問題はあったが、逆に言えばレギュラー組によるチーム戦術が非常に高いレベルで機能しており、付け焼刃的なオプションでは戦術的なプラスはないに等しかったのだと思われる。

トルシエは小野と中村を最後まで天秤にかけていたが、 適正・体調・対戦相手などを考慮し最終的には小野になった。 中村をオプションとして本大会に残さなかった理由はマスコミ対策である可能性が極めて高い。

(12)3-4-1-2 @ 2002 FIFA World Cup
ここに至るまで劇的過ぎるほど紆余曲折あった。
ここまでチームが出来ているならば問題なく決勝トーナメントへは進めるだろうと誰もが思ったが、どの試合も一筋縄では行かなかった。ワールドカップという舞台は実に怖いところである。試合の詳細についてはこちらを参照してもらうとして、大会に入ると日本のチームとしてのピークは(例えばコンフェデなどと比べ)既に過ぎていたことに気が付く。

まず攻撃面。
小野の体調不良によるパフォーマンスの低下、中田の中盤との連携の不足による孤立、FWの技術不足によるダブルポストシステムの破綻など攻撃面でのいいところはほとんど影を潜めていた。ただ例によって左サイドが守備的になったときの稲本の攻めあがりだけが際立っていた。

逆に守備に関しては小野の攻撃面での貢献の少なさに比べ、どちらのサイドが本来守備的だったのかを忘れるほど左サイドの守備は完璧とも言える内容で、スペインリーグで活躍するカルピンを小野と中田浩二はまったくといっていいほど仕事をさせなかった。

またベルギー戦の反省からDFラインの高さが今までよりも低めであったことは、この両サイドの守備的なSHの影響が強い。 つまり両サイドSHが低めのゾーンで守る限り、本来なら中盤のボランチを中心に機能するはずのプレスまで低い位置でしか機能せず、DFラインを高くすると逆にバランスが悪くなる。ここに来てトルシエがサイドの守備にこだわり過ぎたことがDFラインの高さにまで影響を与えてしまっていた。トルシエのDFライン自体の完成度は非常に高かったが、左サイドの守備的ポジションに引っ張られる形となってしまった。

結果的にはトルシエがトリプルボランチで実現しようとした低めの守備的なゾーンディフェンスを通常の3-4-1-2を使ってより機能的に再現してしまったとも言え、 トルコ戦での三都主などの起用は守備に振りすぎた戦術を感じ取ったトルシエの数少ない攻撃的な采配の1つではあったのだろうと思われる。

■ コラム : 「オマージュ」
最近気が付いたことがある。
世間でのトルシエの評価が確実に下がっているのだ。
それにしても何故今ごろ?の感は否めない。
答えは簡単だった。
何のことはない、かつてトルシエバッシングを繰り返した輩を中心に今になって自分たちの意見の正当制を主張するためだけに、まるで死人の墓をあさるように批判を繰り返しているだけだった。 反論できない状態のときに批判を繰り返すとは実に大人気ない。 しかも皮肉なことに一番彼を憎んでいたはずの輩たちだけが、未だにフィリップの幻影を追いかけているのだ。

確かに彼は少し変わっていた。
協調という概念が欠如していた彼のやり方に批判をしたくなるのも分かるが、だがボビー・ロブソンのような例もあるし、それが監督として不適正であるという評価には決してつながらない。

彼の監督としての、特に短・長期的なチーム作りにはあまりに論理的過ぎた感もある。 というのも、例えばある選手を試すときに彼は周囲から受ける影響の一切を排除しようと他の要素、つまり他のある選手を何人も起用することなどを避ける手法を用いた。おかげで多くの選手を試すためにどうしても捨てる試合(前半・後半でメンバーがまったく違うなど)が目立ってしまった。

このように選手を駒的に捕らえたことは彼の長所でもあり、また短所でもあった。 チームを論理的に組み上げるには向いているが、たとえばコンフェデとワールドカップではほとんど同じメンバーで戦術も変化はないが、チームの成長を既に迎えてしまったという意味で後者の方がチーム力は落ちていた。

「勝っているときはチームをいじってはいけない。」といういう有名な言葉がサッカーにはあるが、一度チームが完成したときはメンバーを大きく崩してはいけないし、出来るだけそっとしておくのがベストなのだが、トルシエはセネガル戦以降の実験を見る限りそういった選手間同士の微妙な連携などをほとんど無視しており、元のスタメンにさえ戻せばいつでも機能し出すと勘違いしていた。

一方で、チーム作りのアプローチは見事だった。
おそらく、彼持っている資質の中で最も優れているのはこの部分であろう。
メンバーとその試合をちゃんと見ていけば、彼が何をしたかったのかがすぐに分かった。彼はどの試合にも必ずと言っていいほどテーマを持ちこんでおり、漫然として臨んだ試合はただの1試合もなかったのである。 ただこのアプローチにおいて彼の選手を駒として捕らえるやり方は非常に役に立っていたし、やはり一概に駒の考え方が悪いこととは言えないのである。

持ちこんだ戦術も斬新だった。
詳細を述べることはやめるが、特に最初に持ちこんだフラット3と言われる高い3バックのラインとダニッシュダイナマイトの亜種の戦術は少なくとも最初に2年間は成功していた。その後、ダニッシュダイナマイトのコンセプトはチームから削げ落ち、フラット3だけが残ってしまったが、このフラット3でさえ既にトルシエの初期の構想とは全くかけ離れたものになっていた。具体的には徐々にラインの高さ自体が保てなくなり、加えて押し上げの頻度も下がっており、特にワールドカップでこれは顕著であった。

だが歴史的に見るとこの出来事は論理的に導き出されることだ。
サッキ時代のミランも高いラインを厳密に守ろうとしたために無理が生じていた部分もあったのだが、監督がカペッロに変わってからは「状況に応じて果敢なラインコントロールも出来る、少し高めに設定されたDFライン」が完璧に機能した。 つまり、あらゆる状況でのラインの押し上げ方を学んだおかげで、高さの設定はエキセントリックではないが、状況に応じて巧みな押上げをするDFラインが生まれた。

後期の日本代表の状況もまさにこれだった。
高いDFラインは「初期設定を押し下げること」によって、守備組織としての完成度を上げることに成功したのである。もちろんこれは選手の力によるところだが、結果的には彼らはトルシエのフラット3の上に乗っかって戦うのではなく、自分たちの3バックの武器としてフラット3をうまく利用したことになる。

トルシエがもちこんだ戦術で最も成功したのはこのフラット3と右サイドでの明神の起用だろう。とはいえ、明神自身が守備の名手であるのでトルシエの指示以上の守備範囲をカバーしており、彼自身があのポジションの重要度を上げていったという可能性もある。

この部分は実に微妙な問題である。
はっきり言ってピッチ上の戦術のすべてを管理している監督など、世界中探してもただの一人もいないからだ。つまり監督の考え方を理解することが重要であり、選手自身がそれに沿って戦術をアレンジしていったり、修正したりするのはチームの強さに関係なく当たり前の行為だからだ。

それを踏まえると選手達がDFラインを下げたというのは初期コンセプトには反するが、決して監督への造反を表すのではなく、チームの成熟という極めて正常なプロセスであるのだ。

最後になる。
「はたして彼は日本を愛していたのだろうか?」
答えはノンである。
ただし嫌いでもなかったと思う。
見ても分かる通り彼のチーム作りは全てワールドカップで最良の結果を残すことのただ1点に向けられていた。

我々日本人は強くなること、日本がいつかワールドカップで優勝するようなことを夢見ているし、強くなったような気にさせてくれることを無意識にのぞんでいる。それはひとえに日本人の欧州・南米サッカーに対する劣等感に起因している。
だがトルシエは違った。
現行の戦力でいかにワールドカップを戦うかに賭け、その先のことなどはほとんど考えてはいない。彼にとっては将来日本が強くなるかどうかは二の次であったのだ。

ただ単に可能性を追い求めたいならばスケール感を持った選手を生かす戦術をとるはずだ。久保、本山、新井場、秋田など能力自体が図抜けている選手は他にもいくらでもいた。可能性に賭けてでも早く世界に追いつきたいとあせる日本人と、1歩引いた位置で結果を追究する監督。
その明確な目標の差は日本に馴染まなかった、日本を心から愛さなかったからこそできるトルシエのスタンスそのものであったように思う。

それを一言でいうならば「プロフェッショナル」ということになるだろう。
余談だが、だが彼は決して日本代表監督の仕事に情熱をそそがなかったわけではない。
ワードカップ終了後に受けたあるインタビューで「大会前にたくさんオファーがあったでしょう?なぜそれを受けなかったのですか?」との質問に彼は「代表監督としてワールドカップに集中したかった。そのために来たオファーは全て断った。」と言っている。

彼がフランス人であることを考えると、これが本当のことはどうかはわからない。
でも彼がトルシエであることを考えると、たぶん全て本当のことだと思う。

彼の性格は現役時代のポジションであるストッパーそのままに、絶対的に器用ではないし、性根は非常に真面目で異常なくらいに真剣だ。 確かに他のオファーに気を配りながらワールドカップにのぞめるほど、彼の心に余裕はなかっただろうと思う。(第一、そんなに器用ならば協会とも上手くやれていたはずだ。) オファーを断ってまで集中してしまったのは、明らかにプロフェッショナルな態度からは逸脱している。でも、顔を赤くしてまで真剣にやってくれたならば何も文句を言うことはない。

不器用なフランス人を4年間ずっと見てきた日本人にとって微笑ましいエピソードだ。

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■ 関連リンク
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トルシエ略歴
フットボール・カンファレンス講演

■ 「戦術的成功」 〜若い世代の台頭〜
  (ワールドユース 〜 アジアカップ)
(1)3-5-2OV @ FIFA World Youth Championship
(2)3-5-2OV @ Sydney Olympic 1st round
(3)3-4-1-2 @ Sydney Olympic Final round
(4)3-4-1-2 @ Sydney Olympic
(5)3-4-1-2 @ Asian Cup

■ 「守備組織の崩壊と再構築」
  (サンドニ 〜 コンフェデ)
(6)3-5-1-1 @ Saint-denis Stadium vs France
(7)3-5-1-1 @ Cordova vs Spain
(8)3-4-1-2 @ FIFA Confederations Cup vs Cameroon

■ 「プラスアルファの模索」 〜捨てられた試合〜
  (セネガル戦 〜 イタリア戦 〜 ワールドカップ)
(9)3-4(-3)→3-5-0-2 @ Felix-Bollaert Stadium vs Senegal
(10)3-4-1-2 @ Saitama Stadium vs Italy
(11)この時期のオプション項目
(12)3-4-1-2 @ 2002 FIFA World Cup

■ コラム : 「オマージュ」