日本フットボール学会 2nd Congressとは?

 3月5日、待ちに待ったJリーグ開幕の日。多くのフットボールファナティックがスタジアムに足を運んでいたのと同じころ、東京工業大学ではフットボールに関わるある会合が行われていた。華やかな「今日のフットボール」の裏で行なわれていた「未来のフットボール」を作る2日間の祭典、日本フットボール学会”2nd Congress”。
 今回は、長年に渡りフットボール研究に携わり、現在は日本フットボール学会の会長を務めている大東文化大学教授、大橋二郎氏に日本フットボール学会とフットボール研究の果たす役割について聞いた。

日本フットボール学会とは?

 日本フットボール学会とは、フットボール研究に関わる有識者により2003年9月25日に発足された団体。競技力向上や普及・育成のためのハード、ソフト両面の環境整備などフットボールに関する科学的研究に力を注ぎ、その成果をプレーヤー・指導者・彼らを支える多くの人や団体との交流の中で橋渡しすることをその活動目標としている。
 ”Congress”とは、そういった研究者たちの日々の研究成果を年に一度の発表の場である。今回の”2nd Congress”(3月5日・6日) は、昨年の3月に行なわれた”1st Congress”に引き続いて行なわれたもの。 なお、”Congress”で発表されたテーマは、日本フットボール学会のホームページ(http://jssf.net/)にて確認することができる。

日本フットボール学会会長 大橋二郎氏インタビュー

■学会設立の経緯について

――日本フットボール学会の活動について、簡単にご説明いただけますか。

「まず世界のフットボール研究の大きな流れとして”World Congress”(World Congress on Science and Football:以下WCSF)という4年に1度開かれる国際的な会議があるのですが、これが非常にいい学会でして、そこが日本フットボール学会(Japanese Society of Science and Football:JSSF)の出発点となっています。前回、WCSFが開催されたのは2003年のリスボン(ポルトガル)でしたが、その際に2007年のトルコ開催が決定しました。現在の日本フットボール学会の主な活動は、国内の各大学や機関で行なわれている研究発表の場であるこのCongressの開催ということになります」

――1980年から開催されてきたサッカー医・科学研究会が、今の日本フットボール学会Congressの前身に当たるものと考えてよろしいでしょうか?

「日本の科学研究の歴史をたどれば、日本サッカー協会(以下JFA)の下で毎年開催されてきたサッカー医・科学研究会が、研究者同士のネットワークを築いていった経緯があります。現在、日本フットボール学会とJFAはそれぞれが独立した組織となっており、その部分で違いがあります」

――それでは、現在のサッカー医・科学研究会では、どういった活動が行なわれているのでしょうか?

「実はJFA側に組織改変がありまして、ちょうどワールドカップが終わり川渕キャプテンが会長に就任された2002年ですか、大きく様変わりをしました。サッカー医・科学研究会は、科学研究委員会と医学委員会という2つのセクションが持ち回りで開催していたのですが、科学研究委員会だけが廃止となり、JFAに科学的研究をやるセクション自体がなくなってしまったんです。」

――その件に関してはいろいろと難しいお話もあるかと思いますが・・・

「確かに、ネガティブな側面があるのは事実です。ですがそういったこととは別に、サッカーの科学的研究というのは確かに存在し続けるわけです。そういった研究をリードし続けてきた組織がなくなってしまうのは残念だった。それが学会立ち上げの大きな動機です」

――各研究者は医・科学研究会のころからの研究を引き継いでいる部分はあると思いますが、日本フットボール学会となってからの研究・発表にどういった差異を感じていますか?

「一番大きいのはやはりJFAの主催ではなくなったということですね。日本フットボール学会は科学研究を行なうあくまで中立的な団体です。アカデミックなものを扱う独立した組織になれたのが最も違う点ですね」

――それは、かつてはそういった研究には制約があったということでしょうか?

「必ずしもそういうわけではありません。当時から自由なディスカッションもありました。ただ、意思決定の迅速性という部分でJFAという大変に大きな組織の中にある一研究会と、組織として独立した学会とではそのスピードが全く違います。思ったことをどんどんやっていけるんですね。設立してわずか1年半ですが、学会の国際誌の方も発行しはじめており、運営は非常にスムーズにいっています」

――JFAの組織に属していた場合には、代表やクラブなどトップレベルの現場と連携は取りやすかった部分もあったのでは?

「おっしゃるように、トップチームという点では確かにマイナス部分があるかもしれませんが、もっと広い視野、例えば育成や普及や基礎研究という視点から見ればそういったことによるデメリットはほとんど感じません。科学的研究を行うためであれば、必ずしもトップレベルだけを追い続ける必要はないんです。

 実際に我々の研究が十分実践的であるということを示せるだけの成果が発表されれば、世間がその重要性を認識していくことにつながります。どういった発表がなされているのか、また本当に役に立つ研究とは何かという部分を、研究者同士の中でも話し合うことは今後は大事になってくると思います」

■クラブ・代表・JFAとの関係

――大橋先生のように名古屋グランパスなどJクラブを研究の対象にされる場合、肖像権の問題やデータの管理の面で難しい部分もあると思いますが、そういった部分はどのように解決されていますか?

「学術的な研究発表の部分でデータや画像を使用する、商業目的では使用しないということを説明した上で、最終的にはお互いの信頼関係で成り立っているのが実状です。アマチュアの被験者を対象とすればそういったことが問題になることはないけれども、その一線を乗り越えなければトップ選手の貴重なデータは取れないわけですから、こちらもデータを積極的に提供することでクラブ側にもメリットがあることを理解してもらって研究を行っています」

――選手の側からは、研究データを見せてほしいという要望はありますか?

「これはかなりあります。私が研究した名古屋グランパスについては、元々クラブ側が興味を示してくれたのが最初のきっかけだったんです。ずいぶん前になりますが、ストイコビッチ氏が引退する前に、彼のデータを残してそれを普及・育成の方に役立てたいという話をクラブ側からされたことで研究がスタートしました。『ちょっと知恵貸してくれないか』そういうきっかけがあって、現在のような関係が始まったんです」

――Jリーグのクラブからアプローチがあるというのは、珍しいことなのでしょうか?

「名古屋のように、ゲームの“中身”に関して分析してほしいという例はまだまだ少ないと思います。逆にメディカル・フィジカルな面に関してはオファーがかなりあって、実際どこかに頼まれてそういった研究をしているところは多いです。

 一般論ですが、我々が見て考える主観と現実の現象には何かしらのズレがあるわけです。例えばある選手は体力があるように見えるんだけれども実際にはそうでなかったとか、あの選手は後半すぐにへばるが本当にそうなのかとか。コーチの目を客観的な数字として提示すること、それは科学的な指標を使わないと絶対に出来ない。現場がフィーリングならば、その裏づけや再発見としてのデータの採取と提供、それは指導の部分にも貢献できるところではないかと思います」

――例えば多くの怪我人を出すクラブなどでは、フィジカルスタッフの問題が取り上げられることがあります。クラブ間で取り組みの差以上に、一線で活動するスタッフが持つ医学的な知識にも実際は大きな差があると思うのですが。

「これについてはチームによりけりで、本当にケースバイケースだとは思います。コンディションや怪我の回復、体力づくりなどについては確かに最新の科学的な知識が即戦力で求められるようになっていると感じています。こういった学会の活動を通じて各人が勉強できる環境が整えていくことが理想ですね。学会の発起人メンバーにもJクラブのフィジカルコーチ(横浜FMの池田氏など)も入っているのですけれども、残念ながら今回は参加されていません。何せ今日はJの開幕ですから」

――その点については是非お聞きしたかったのですが、なぜ年に1回のコングレスをこの時期に開催されたのですか?

「実はJの開幕日の方が後から決まったんです。学会が最初にコングレスの開催の日程を先に組んだのですが、それがたまたま開幕日とバッティングしてしまっ。実は去年もこういうことがあったので、来年のコングレス開催は1月(注:2006年1月14・15日開催が決定)にしようかと思っています。

 日程の調整は実に大変で、どうしてもどこかと必ずぶつかってしまう。医・科学研究会のあったころは1月開催でやっていたのですが、Jクラブはキャンプに行く可能性もありますが、あの時期というのはわりと良かったんですね。ただ1月のこの時期は、2年に1度のフットボールカンファレンスが開かれるようになってしまったために、今年はその時期に開催できなかった。では2月はどうかというと、入試との関係もあり今度は会場自体が使えなくなるばかりか、理事の先生方も大学関係者ばかりですからやはりこの時期も難しい。3月はJはもちろん大学の方で今度はデンソーカップをやっていますから、そっちのスタッフも今日は来られていないんです。

 会場の都合もありますしね。これだけの会場を2日間も押さえるとなれば、1年前から日程を抑えておかないといけないので」

――お話にありましたフットボールカンファレンスと日本フットボール学会の連携というものはあるのでしょうか?

「組織と組織としての関わりはないです」

――ではカンファレンスの方がサッカー医・科学研究会の流れの中にあるというわけではないのですね。

「ないですね。メディカルとサイエンスのことはこういったことには欠かせないだと思うのですが・・・。外から見ていると、フットボールカンファレンスは科学的研究というよりは、フットボールの技術や戦術という部分に関しての発表が大半を占めていますね。こちらからあえてカンファレンスとは別の方向に行こうとは思いません。もちろん手助けが必要となればお手伝いさせていただこうと考えています」

■日本におけるフットボール研究の現状とは?

――2003年に日本フットボール学会が設立されると聞いた率直な意見として「まだそういったものがなかったのか」という印象だったのですが、例えば世界から見て日本のフットボール研究はどの水準にあるとお考えですか?

「意外に思われるかもしれませんが、他の国にはこういった組織はあまりないのです。どちらかといえば研究者一匹狼というか、有名な何名かが先頭に立って引っ張っている感じです。ただ4年に1度のWCSFに関しては、そういう人たちが集まってきちっと企画をして、世界中から研究者を招くという活動をしているんです。むしろ、日本の中でそういった活動を行う独立した組織がなかったというのは、サッカー医・科学研究会が存在していたことがかえってネックになっていたんです」

――サッカー医・科学研究会の行なっていた研究が、日本フットボール学会のそれを先行していた印象が強いわけですが、そう考えるとある日突然科学委員会がなくなってしまった部分に何か釈然としないものを感じてしまいます。

「1980年から全22回ですか・・・私も研究会の第1回からずっと中で活動を行なってきましたが、そのころから今のように早く組織化して独立したいという思いはずっと持っていました。運営を自分達がやるのと、JFAの一研究会とでは先ほど言ったように意思決定からしてフットワークがまるで違いますから。誰を呼んでどんなテーマにするとか、医学委員会と科学委員会の双方の合意をしてから進めていかざるを得ない。加えてJFAトップの理事会がいついつにあって、それと重ならないようにするとか、医学の学会の日程とも都合をつけなければいけないとか、継続性と意思決定の部分で非常にもたもたとしてしまい、やりにくい部分が多かったんです。

 もちろんJFAとしては代表・クラブの強化の部分が最もプライオリティーが高いわけだから、基礎研究というのは業務の特性上どうしても二の次にならざるを得ないわけで、それもしょうがない部分はあったのですが。基礎研究は5年や10年先のスパンでしかその成果がはっきりと現れない場合もあり、成果が見えにくいという側面も大きかった。『明日の試合にどうやって勝つんだ?』ということはどうしても言われてしまうんです」

――今後は、改めて日本フットボール学会が日本のフットボール研究をリードする存在になっていくと思いますが、世界的に見てどこの国がそういった部分で最もリードしているとお感じですか?

「ヨーロッパ全体ですが、そこはやはり軸になる研究者がリードしている状態です。デンマークのバングスホーとかリバプールにいるトム・ライリーなどが、みんなに声を掛けてWCSFの会合誌の編集をして、そこで使われたデータがそのまま様々なコーチングの本に引用され活用されている。そしてトップレベルのコーチ達はそういった科学的な情報もかなり知っている。そういうものを読んでいるから、現場にいる人たちの知識レベルが物凄く高いんですよ。またそれを読んでいる人が実際に研究をし、現場にも出ている」

――トップクラブのコーチが現場を見ながら、一方で最先端の科学的研究をしていると。

「まさにバングスホー(Jens Bangsbo:元デンマーク代表。ユベントスでアシスタントコーチを務めた。数学と化学の学士号も持つ元大学教授。FIFAとUEFAのアドバイザーでもある)などはユベントスでリッピの隣でアシスタントコーチをしていたわけですから、個人だけでなくクラブとしての意識の高さがああいった形であらわれている。コーチ業の傍らで研究を行うとなると時間的な制約が多くて大変な上に、彼の場合は国も言葉も違うわけです。トップのコーチはそういった厳しい環境の中で研究を行なっているんです」

■「夢を持って」学会の展望と未来を語る

――学会の大きな目標として2011年のWCSFの日本開催も含まれていると思いますが、2007年の開催地を決めるべく行なわれた2002年のプレゼンテーションでトルコに競り負けてしまったというのは、日本側に今の学会のような科学的研究をまとめあげる組織がなかったことも大きかったのでしょうか?

「あの時期は既に科学研究委員会は事実上なくなってしまっていたんです。だからWSCF開催のために受け皿となる組織が全くない状態で、ですから当時プレゼンテーションに参加した私もどこどこの組織委員という立場ではなかった。あくまで個人としての参加、一大学の一教授としてのアピールに留まってしまったわけです。医・科学研究会の最後の会合は2002年の1月で、次の年も一応予算化はされていた。けれども医学委員会が残っただけで、やるともやらないとも言われぬまま、曖昧なまま時間が過ぎてしまって『そりゃないだろう、いくらなんでも』と・・・」

――ということは、1980年から続いた日本のフットボール研究が断ち切られるところを、日本フットボール学会が危うく救い上げた形になりますね。

「そうです。それも学会立ち上げの一因ではあります。ただ以前から僕は『組織として独立したい!』という意見を持っていましたので、いつかこうなるのではないかとは思っていました。今では大学講師とか助教授くらいで学位をもった、前途洋々な若くて優秀な人材がたくさん出てきているんで、そういう人たちに声を掛けたらみんな喜んで集まってきたと、こういうわけですよ」

――ではやはりWCSFを開催するにあたり、その受け皿となる組織がなかったのが大きかったのですね。

「向こうに指摘された点が全くその通りだったのでね。おっしゃるようにWCSFを受け入れ組織がなかったという部分、あとは国際会議をする上での言葉の問題ですね。他にもいろいろな指摘がありました。代案として、受け入れの母体がなくても大学としてならばそれは可能であったわけです。スポーツ関係のベースが整っている筑波大学や早稲田大学などの非常に大きなところで開催するというのは可能性としてはあったのですが、それを決定する調整の時間的余裕もなかった。

 私が『うちでやります!』とそのときにいっていればプラス材料にはなっていたのかもしれませんが、それを言うことは出来なかった。今年、私どもの大東文化大学にスポーツ科学科をつくることになりまして、4月からは私がそこの主任教授に就任する予定です。さらに足元を固める意味合いもあって、来年の3rd Congressを大東文化大学で開催することが決定しています」

――日本フットボール学会の今後の活動目標をいくつか挙げていただきたいと思います。最優先の活動項目は何になるでしょうか?

「短期的なものとしては、昨日理事会があって決まったばかりなのですが、日本語の学会誌を何としても発行したいというものです。これはずいぶんと前からディスカッションしていてようやく決まったことです」

――他に中・長期的な目標がありましたら教えてください。

「今はまだないんですが、学会としてミニコミの勉強会のような研究集会を行えればと考えています。Congressは年に1回ということで、研究者同士のコミュニケーションという意味では寂しい部分もある。先生方は日ごろの研究で積み上げている思いもあると思いますので、それを持ちあって情報交換したり、文献を広げながらコミュニケートできる場がもっと増えれば、お互いの発想に触発されることも増えるはずです。そういった集会を学会の方で仕掛けてもいいし、場をこちらから提供するかあるいは支援でもいい。東京なら東京と各地域で、月1回でも各地域別でそういうものをやっていっても面白い。そこからまた新しい研究や発想が生まれるかもしれないでしょう?」

――最後に、学会の今後の展望をお聞かせ願います。

「やはり夢を持ってやっていきたい。この学会を国際的に認知度されるような組織、皆が認めるような組織にまずは成長させていきたいと考えています。国際的にもこういったしっかりとしたフットボール研究の組織は少ないので、逆に日本が科学的な部分ではリードするくらいの勢いで成長させていきたいですね。若い研究者や指導者がみんな頼りになるので、私はかなり期待できると思いますよ」

(H17.3.5収録、取材・撮影:Hironari Ishii